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大寒の町を歩めど暖かき 温暖化現象今日も昨日も (01月21日)(月)

 自分の車に乗ってシートベルトを締めないでいるとカーン、カーン、カーンと鐘が鳴る。
 そのままに放っておくと、やがてガーン、ガーン、ガーンという物凄い音になって人を威嚇する。
 自動車整備会社に言っても「これは、直せない」という。
毎朝、これをやって職場まで通っている人も多いということだ。
 大寒で朝から寒風である。3−8度C 8時30分 トーヨーで打ち合わせ 8時45分 江戸川区役所監査委員室へ行く。 9時30分 第七葛西小へ監査に行く 11時過ぎに帰庁 13時15分 鹿本小へ行く。
 15時30分 退庁 16時30分 作家の藤原氏が案件があって来訪懇談した。
 18時15分 案件があって木田氏 溝田氏と懇談(区内)
 夜は「仏陀の真実の教えを説く」を読む。
 

●21日は一年でもっとも寒いといわれる大寒である。京都市内は降雪で三山が雪化粧し、左京区の「大文字」が白く染まった。南区の東寺(教王護国寺)では年明け最初の縁日「初弘法」があり、コートを着込んだ人らが1年の無事を祈っていた。
 初弘法は、年末の終い弘法と並んで人出が多いことで知られる。
 
 降雪や路面凍結などで、露店の数は例年より200軒少ない約1000軒となった。参拝者は金堂や大師堂にお参りし、かじかんだ手で線香の煙を体にこすりつけて無病息災を祈った後、新春の香を運ぶ梅や桃の盆栽を買ったり、古着や骨董(こっとう)品の品定めをしていた。
 朝の市内の最低気温は2・0度(京都地方気象台調べ)と平年より1・1度高かったが、週末には冬型の気圧配置になり、冷え込むという。
 

●宮崎県の東国原英夫知事ら改革派知事を中心にした政策集団「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(通称・せんたく)が20日、発足した。
 永田町では「すわ、新党か」とも噂されたが、同日都内で開かれた記者会見では、こうした見方を打ち消すのに躍起。不協和音を抱えたままでの船出となった。
 
 「自民党ではない、民主党ではない、第3の、といった立ち位置ではない。どの政党でもいいが、国のこと、あるいは地方格差のことなどを考えて、政策を出していただくということを進める運動体だ」
 東国原氏は会見でこう述べ、「新党」とは無関係であることを強調した。
 
 「せんたく」は民間の有識者で構成する「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体とし、発起人には、東国原氏らのほか山田啓二京都府知事、古川康佐賀県知事、財界から池田守男資生堂相談役、茂木友三郎キッコーマン会長、労働界から古賀伸明連合事務局長が名を連ねた。
 
 「官僚主導から政治主導への転換」「地方分権の推進」を旗印に、与野党の国会議員に賛同者を募り、超党派の議員連合の結成を求める。
 その上で、次期衆院選に向け、各党のマニフェスト(政権公約)に、「せんたく」の政策を反映させてもらうという。
 
 ただ、課題は少なくない。有力メンバーの1人は夕刊フジの取材に「超党派で議論する以上、参加する国会議員がどういう判断をするか分からないが、機運が盛り上がれば、当然、新党発足に結びつく」との見通しを示したものの、代表発起人の北川正恭前三重県知事は会見で、次期衆院選での独自候補の擁立や他候補の推薦について「考えていない。われわれは政党ではない」。
 
 松沢成文神奈川県知事も、記者の質問が新党、政界再編に集中したことに対し、「誤解があるようだ。この運動は決して政党ではない」と強調した。
 しかも、将来的な計画についても温度差があり、北川氏が「活動期間を次期総選挙まで」と語ったのに対し、松沢氏は「それでは意味がない。総選挙後しばらくたって、マニフェストを検証する必要がある」と語る。
 「平成の民権運動を立ち上げる」とも語った北川氏だが、勇ましいのは掛け声だけということか。
 

●「閣僚ポストや政治資金のために奔走した。とくに山拓のためには」。
 脱税事件や汚職事件で「政商」と呼ばれた元石油商、泉井純一氏(71)が夕刊フジのインタビューに応じ、過去の政界工作を激白した。
 複数の大物政治家に金を無心され、なかでも「山崎拓氏には2億7700万円を貢がされた」と明かす。うち1億円は所属派閥の領袖だった故渡辺美智雄氏の自民党裁総選のために用意したとし、「(その金で、山崎氏は)建設大臣ポストを買ったも同然」と暴露した。
 
 泉井氏はこうした話をまとめて3月にも、回顧録「浪花のタニマチ(仮題)」(講談社)を出版する。
 泉井氏は自省を込めて、大阪・ミナミのホテルで、
 「拓への献金総額は2億7700万円にのぼった。うち7700万円が僕のポケットマネー。最大の額面は91年、彼のボスのミッチー(故渡辺氏)が総裁選に出馬した際の1億円。
 カネ以外でも本人の要望に応じ、拓に建設相ポストがあたるようミッチーに働きかけたこともある。党の政調会長就任でも運動した」と明かした。
 
 山崎氏は実際、91年11月に建設相に就任。泉井氏は「私が作った1億円で建設大臣のポストを買ったも同然」と話す。
 山崎氏を通じて政界と縁ができると、「泉井石油商会」の献金も広がった。
 主な献金先も、小渕恵三元首相に1000万円、森喜朗元首相に500万円−などという。
 山崎氏と関谷勝嗣元建設相がつくった若手議員の会合「拓勝会」のスポンサーになり、会合では東京・向島の料亭に芸者を呼び、支払いのほか、「出席者には当選回数に10万円をかけた車代を茶封筒に入れて配った」。
 
 配った相手として記憶に残るのは、武部勤元幹事長▽与謝野馨・元内閣官房長官▽甘利明・経産相ら。石破茂・防衛相も「1、2回は参加していたはず」という。
 泉井氏は96年に石油製品の取引に絡んだ脱税事件で東京地検特捜部に逮捕、翌年に関西国際空港の汚職事件で再逮捕された。脱税と詐欺罪で懲役2年の実刑判決を受け、2000年に服役。02年に出所したが、事件を境に、一部の政治家たちの態度は変わった。
 
 「小渕さんは『できる限りのことはします』、森さんは『気にしている』といってくれた。しかし拓は冷淡だった。
 『僕がカネもらってないといえば、それでしまい』『1年か1年半、会わないでください』だと。あの態度にキレた」
 山崎氏とは77年、早大校友の紹介で知り合ってからの長い付き合い。金に関するエピソードは尽きない。
 
 「86年ごろだったが、拓から『こういう女性が大阪に行くからよろしく』というので、会うと、初対面のその女性は『7000万円貸してほしい』という。結局2回にわけて用立てたが、返済されたのは4000万円だけ。
 それを拓にいうと『貸したのは、あなたの勝手でしょう』ときた。いかにも彼らしい」
 出版する本にも面白いエピソードがある。「実は出所直後、手記を出そうとしたが、貧すれば鈍すで、ある筋の金銭と引き換えに取りやめた」
 
 以前出そうとした手記は出版直前、ある宗教系新聞の元政治記者が突然現れ、「ゲラを1500万円で譲ってほしい。出版は断念してほしい」ともちかけられ、出所後で金銭的に困窮していたこともあって承諾したという。
 この出版中止に、当時は一部で「政界の圧力か」と報道されたが、泉井氏は「金の出所は拓だと思う」という。
 
 一方で、96年に一連の事件が噴出し、拘置所で検事の取り調べの合間、大学ノートに政治家への献金額などを記録した備忘録「泉井メモ」を作成した。
 97年7月に保釈された直後、男が訪れ、「自分は許永中氏がオーナーを務める企業グループの金庫番で、これからいうことは、許オーナーの意向と思ってもらっていい」と前置きし、 「備忘録を3億円で売ってほしい」ともちかけられた。泉井氏は承諾。2度に分けて現金2億5000万円が持ち込まれ、残りは藤田嗣治画伯の絵画で現物支給だった。許氏は「イトマン事件」で逮捕され、「政界のフィクサー」として知られる。
 
 今回、泉井氏が出版を決意したのは「前回の手記から5年が経過し、年齢的にも最後のチャンスと判断した。私の体験を多くの人に知ってもらいたい」という。
 泉井氏は21日夕、大阪市内のホテルでジャーナリスト尾塚野形氏主催の「形のアヤシイ新年会」に出席。こうした体験について講演する。
 
 山崎拓氏の政策秘書・真次道夫氏は21日午前、夕刊フジの取材にこう話した。
 「その件はもう10年前の話。当時、政倫審で泉井さんも証人喚問されたし、(山崎議員も)予算委員会で質問を受けてすべて答えた。それは一応決着した。もらってたか、もらってないかというのは、それはもらい方が合法か非合法かを当時、散々論争した。それがルールに則ったものでなければ、実際に罰せられているわけで、泉井さんはそれで刑事処分を受けたはず」。
 
 2億7700万円の授受には「それがもらったか、もらわないかは一言で言えない。その当時のやり取りも色々あるから…。2億7700万円と言ったって、それが他の先生方にいったということもあったと思う。
 とにかく10年前のことだから今はわからない。大騒ぎすることではない」と話したという。
 

●『小美術サロン』
 北大路 魯山人作 『赤絵捻文徳利』

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