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梅雨明けず物価値上がる下町に 猛暑来たりてビールの冠空く  (07月13日)(日)

 午前午後原稿 曇りのち晴れ 22ー32度C
 夜は福島香織「危ない中国 点撃」を読む。 
 

●米国を中心に展開する鉄板焼きレストラン「ベニハナ」などの経営で知られる実業家で冒険家のロッキー青木(本名・青木広彰)氏が10日夜(日本時間11日午前)、ニューヨーク市内の病院で肝臓がんに伴う合併症で死去した。69歳だった。
 
 中学から慶応に通い、同大経済学部に進学してからはレスリング部に所属し、日本選抜チームとして米国に遠征したこともある。
 1960年には留学のため再渡米。動機は、「最初の渡米の際に空港で5ドル拾って、この国はお金が拾える国だといっぺんで好きになったことが留学につながった」(関係者)。ニューヨークで移動アイスクリーム屋を開いたが、アイスにつけたミニチュアの番傘がうけて大当たりした。
 
 このとき3カ月で1万ドル近くもうけ、それを元手にベニハナ1号店をオープン。ところが最初の半年は閑古鳥が鳴く。そのときに起死回生の決定打となったのが、父親の一言。
 ふと父親が「客の前でショーをやっては」と助言した。それを元に、料理人が料理をしながら客の前でナイフやコテを使ったパフォーマンスを演じるスタイルを思いついたという。
 
 冒険家としても名高い。80年にはパワーボートで世界大会の2位になったほか、81年には気球で三重・長島温泉から太平洋横断に成功。米タイム誌の表紙を飾った。
 パワーボートでは79年にサンフランシスコの金門橋の下で事故を起こし、瀕死の重傷を負ったのだが、かつて夕刊フジがインタビューした際には、その時の傷を見せながら当時を振り返った。
 98年にはインサイダー取引疑惑で会長職を退いたが、前出の関係者は「80年代にこんなに元気な日本人がいるんだぞ、ということを米国や日本に見せてくれた人物」と話している。
 娘はスーパーモデルのデヴォン青木さんである。
 

●自民党の小池百合子元防衛相が10日夜、都内のホテルに小泉純一郎元首相を招き、小泉チルドレンの猪口邦子、佐藤ゆかり両氏と共著本出版パーティーを開いた。
 福田康夫首相にとって、「政権の一つの区切り」とも言われた北海道洞爺湖サミットが閉幕した翌日に行われた注目の催し。
 永田町では「小池氏が『次は私よ』とポスト福田を印象づけるためのものでは」(自民党若手)との声もあがった。
 
 「3人寄れば文殊の知恵というが、ただの3人じゃない。それぞれに華がある。実力、度胸、愛きょうがある」
 来賓として招かれた小泉氏は、こう小池氏らを持ち上げた。この会合は、小池、猪口、佐藤3氏による政策ユニット「TPL」(トーキョー・プロジェクツ・オブ・バイ・フォー・レディース)の共著として4日に発売された『東京WOMEN大作戦』の出版記念パーティー。
 会場には超満員の約1500人が集まった。
 
 小泉氏のモノマネで人気のお笑い集団「ザ・ニュースペーパー」の松下アキラさんも駆けつけ、「総理を目指せる人たちだ。…これは誰にも言っているんだけど」と笑いを取った。
 松下さんと小泉氏は初対面といい、小泉氏は「本物より(話が)うまい」とツッコミを入れ、松下さんに「持っていかれるなぁ」といわれるなど、終始ご満悦な様子だった。
 「東京−」は、小池氏が環境政策、佐藤氏が経済・金融政策、猪口氏が少子政策を記した政策本。
 
 パーティーがサミット直後のタイミングとあって、ある自民党中堅議員は「サミットの終了翌日に小泉氏が来るとなると、マスコミもサミットの評価を聞くために集まる。
 中川昭一元政調会長と同様、政策発表は『ポスト福田』がらみとも考えられるし、存在感を高める小池氏の一流のパフォーマンスだ」と舌を巻いた。
 実際、小池氏は「ポスト福田」や政界再編を意識してか、中川秀直元幹事長と「京都議定書目標達成議連」を立ち上げるなど、動きを活発化させている。
 
 ただ、その中川氏は当初、乾杯の音頭を取る計画もあったが、「次の会合がある」としてお流れに。
 公明党の太田昭宏代表も駆けつけたが、出席した国会議員は少なく、他に東京選出国会議員の姿は見えなかった。
 注目の小泉氏にしても、サミットの評価や内閣改造、衆院解散・総選挙といった、政局に関する発言は避けた。
 永田町事情通は
 「絶妙のタイミングに小泉氏を呼べるのはたいしたものだ。ただ、『ポスト福田』を狙うなら、もっと党内の人望を集めたほうがいいのでは」と語った。

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