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浅間山仰ぎて見ればいつもなる 白雲を背に立つ姿なり (07月28日)(月)

 長野から午前中、新幹線で軽井沢へ移動する。 曇り22−30度C 13時 イギリスの作家ケネス・ジラード氏の文藝講演会に出席して発言する。 15時 文藝懇談会(軽井沢町文化会館)
 18時 白石氏 小沼氏 太田氏と懇談(中軽井沢・福幸亭) 夜は勉強会 上杉隆「ジャーナリズム崩壊」を読む。
 雑誌「WIIL」 「VOICE」 「新潮45」などを読む。 
 

●トルコ最大の都市イスタンブールで27日夜、爆弾2発が相次いで爆発し、少なくとも13人が死亡、約70人が負傷した。民放NTVが伝えた。
 地元の県知事はNTVに対し「過激派のテロだ」と語った。
 
 爆発の背景は不明だが、トルコでは与党・公正発展党(AKP)が国是の世俗主義を侵しイスラム化を進めているとの訴えを受け、憲法裁判所が28日に最終審理を開始、近くAKP解党命令が出るとの観測が強まり緊張が高まっていた。
 
 現場はイスタンブール西部の住宅街。地元メディアの報道によると、まず1発目の爆弾が爆発、被害者を助けるため市民らが集まった約10分後に2発目が爆発した。以上 共同通信
 

●北京五輪の開幕まであと11日。競技会場へのアクセスとなる地下鉄も完成し、選手や観光客ら50万人とも言われる外国人を迎えるボランティアは最後の訓練に汗を流している。
 一方、21日に雲南省で起きたバスの爆発事件の影響もあり、交通機関は厳戒態勢が続く。北京市民は高揚感と不安感が入り交じった「五輪前夜」を迎えている。
 27日、競技場が集まる五輪公園内の選手村が開村した。
 
 「もう少しで開幕。うれしさと緊張感でいっぱい」開会式会場となる国家体育場(通称・鳥の巣)近くで、そろいの青いシャツを着た学生ボランティアの趙●(●はくさかんむりに千)さん(20)は、にこやかに話した。
 担当は入り口での手荷物検査で、不審物があったらどうするかという訓練もあった。
 それでも「テロなんて怖くない。中国で初めての五輪に参加できて光栄」と興奮した様子だ。
 
 市内の観光地など約550カ所に設けられたボランティアステーションは今月初めから利用が始まった。207万人のボランティアが道案内や通訳などにあたる。
 会場周辺の屋台や立て看板などを排除、道路には4千万鉢の花を配置する。
 市内には五輪のスローガン「一つの世界、一つの夢」と書かれた看板や旗があふれている。
 
 インフラ整備も完了した。空港線と10号線が19日に開業し、北京の地下鉄は計7本に。空港線は約20分で市内に着く。
 10号線から乗り換えて五輪公園に向かう五輪支線も完成し、8月8日の開会式に開業予定だ。
 
 しかし、開幕が近づくにつれ、街中の警備も厳しくなる一方だ。北京市内に向かう高速道路の料金所では1台ずつチェック。五輪公園周辺は一般車両の通行が禁止され、空車のタクシーも近寄れない。
 地下鉄の駅でも所持品検査があり、五輪支線はパラリンピック終了まで証明書を持つ関係者か、チケットを持つ観戦客しか乗車できない。 以上読売新聞記事から引用した。
 

●福田康夫首相にとって初の内閣改造を目前に控え、まもなく10年目に突入する自民、公明連立政権が突如としてきしみ始めた。
 公明党は年内解散を念頭に内閣改造に難色を示しており、首相と太田昭宏公明党代表との党首会談も宙に浮いたままだ。このまま内閣改造が先延ばしになれば、自民党内に動揺が広がり、首相の求心力はますます低下するが、今のところ起死回生の秘策は見あたらない。
 衆参のねじれに翻弄(ほんろう)されてきた福田政権は独自色を出せぬまま、政局の濁流にのみ込まれようとしている。
 
 26、27の両日、首相は首相公邸から一歩も出なかった。26日午後5時半、山王パークタワーに近い首相官邸裏門から黒塗りのクラウンが猛スピードで乗り入れ、2時間20分後、別の通用門から闇に消えた。
 乗っていたのは首相の後見人である森喜朗元首相だとの見方がもっぱら。
 森氏はかねてから内閣改造を勧めており、その人選や政局見通しについて助言したとみられている。
 一方、太田氏は週末を地元・東京12区(東京都北区など)で開かれた盆踊り大会に顔を出すなど「あいさつ回り」に費やしたという。
 

●毎日新聞の岩見隆夫の連載コラムによると・・・・
 派閥にパワーがあったころ、人事の季節になると、実力者による売り込み、綱引き、心理ゲーム、マスコミ操作が尋常でなく、事前の火花が飛び散ったものだ。
 最近は、よしあしはともかく、首相のワンマンショーだから、事前の思惑がうちにこもる。昔のにぎにぎしさがなつかしい。
 
 福田康夫首相が内閣改造をやりそうだが、<白紙>という情報しかない。
 何もわからないというのは、超情報社会のなかで奇妙なものである。
 そんなときに、豪華本「水田清子(せいこ)文集−−城西大学創立者水田三喜男の遺業を継いで」をいただいた。<こぶ大臣>で知られた水田は、なつかしい政治家の一人だ。
 晩年、水田は大学経営に情熱を注ぎ、1976年、71歳で死去したあと、妻の清子が継いだ。いま、清子は大学の名誉理事長、96歳。
 
 文集には、<宇都宮徳馬さんの思い出>の一文がある。水田と政界一匹オオカミだった宇都宮は旧制水戸高、京大で同級、左翼学生で行動をともにした。
 のちに水田が蔵相のとき、宇都宮の母親が亡くなる。水田夫妻はお通夜に行くが、うっかり宇都宮家の近所で行われていた別の家のお通夜に飛び込んでしまった。
 
 黒枠の写真もやはり高齢の女性、怪しみもしないでご焼香したが、一人の知人もいないことに気づき、人違いとわかった。おわびして香典を返してもらい、逃げるように辞去した。翌朝の新聞で、
 <香典取り戻したチャッカリ蔵相>と冷やかされた、と文集にある。なんとものどかな話だ。
 
 水田は石橋、岸両内閣で通産相を2回、池田、佐藤両内閣では蔵相を7回もつとめた。ポスト争いが激しいなかで稀有(けう)なケース、水田だけに許される人徳があったらしい。
 額中央のたんこぶ(後年、切除)と早打ち碁、浮世絵コレクションは有名で、ことに碁は歯ぎしりする場面でも、 「待った」をかけることはなかった。
 座談も巧みだった。ついでに「水田三喜男追想集」(1977年刊行)をめくると、笑いを誘う語りがいくつもころがっている。大蔵省の幹部たちを前に、こんな話をしたことがあった。
 
 「選挙の応援演説を公会堂でやった時、数分間隔で聴衆がどっと沸くんだ。
 おれもよほど話がうまくなったのかなと思っていたら、あとで聞くと、天井の電気扇風機の風で、なけなしの頭髪が踊るように揺れ動いたせいだったよ」
 また、水田は蔵相にたびたび就いたから、役人が下っ端から段々とハシゴを上り、50歳をちょっとすぎると勇退していくのをじっと眺めていた。
 ある日、大臣室で、「君らはまるでセミのようだ。長い間、地面に潜り込んでいて、ようやく地上にはいあがり、木の幹で景気よくミンミン鳴いていると思ったら、もう地上に落ちている」
 
 とつぶやいたという。それを聞いていた元幹部は、
 <役人セミ論の軽妙な比喩(ひゆ)のなかに、はかなくも早々と散りゆく役人に対する水田さんの愛惜にも似た思いやりの気持ちを翫味(がんみ)したのです> と追想した。
 夏の盛り、なぜ去って久しい水田のことを書くかというと、あのころの余裕と潤いがいまの政界に乏しいからだ。ゆとりがないと、いい知恵も出てこない。
 
 文集を編んだ娘の水田宗子城西大学理事長は、
 <水田三喜男は「京子」なる俳号を持って、忙しい政治家としての生活の中で句作を楽しんだ人でした……>
 などとあとがきに記している。俳号は母校京大の京なのか。(敬称略)=毎週土曜日掲載から・・。

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