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華咲きて母の涙のとどめなく 渡邉一正披露この宵 (09月18日)(木)

 のろのろ台風13号のせいで毎日天候がすっきりとしない。23−27度C 8時45分 トーヨーで打ち合わせ  9時 江戸川区役所へ行く 打ち合わせ 架電 来電 10時15分 八武崎元区長が来訪 10時30分 高崎副区長と要談(副区長室)
 13時 退庁 14時 境氏 野田氏と案件があって要談(区内) 15時30分 吉永氏が来訪懇談(トーヨー)
 16時45分 トーヨーの事務所を出る 18時 渡邉一正氏の結婚披露宴(東京オペラシテイタワー54階・ラ・ヴィ・クレール)に出席した。
 
 渡邉一正氏は、日本では、前途有望な青年指揮者の一人である。
 小生の友人で江戸川区小岩在住のオペラ歌手・松崎乃理子氏がたいへんに親しい方で、毎年12月に江戸川区タワーホール船堀で開催される松崎乃理子さんのリサイタルには、渡邉さんは多忙な演奏活動の中にも拘らず、進んでピアノの演奏をして下さっている方である。
 今年の『松崎乃理子リサイタル』は12月8日(月)18時・江戸川区タワーホール大ホールで開催予定である。
 20時過ぎに終了して解散。夜は桜井よしこ「日本ルネッサンス」を読む。」
 

●金正日総書記(66)が倒れた北朝鮮が後継者を決定できない事態に陥っている。
 金総書記には長男、正男(37)、次男の正哲(27)、三男、正雲(25)の息子がいるが、いずれも「帯に短し、たすきに長し」だそうだ。
 金総書記が倒れたのは正雲が不治の病にかかったショックが原因とも伝わる。中国や軍の思惑も絡み合い、後継争いは混沌としている。
 
 「金総書記が倒れたのは正雲が不治の病だと分かったのが原因」。
 金総書記の重病説が伝わって間もなく、韓国政府内にこんな情報が駆けめぐった。
 「体形までそっくりで最も溺愛していた」三男の病に心臓病を患っていた金総書記が卒倒したという。
 8月に仏人医師や中国人医師団が平壌入りしたが、関西大の李英和教授は「仏人医師は正雲を診るため、中国医師は父子両方を診るためだった」と解説する。
 
 正哲と正雲は金総書記が寵愛した故高英姫夫人との子供。遺志を継いだ事実上の夫人、金オク女史が世話役を務めているとされる。
 正雲は金総書記が「リーダーシップがある」と評したとされ、後継者候補に浮上。
 正哲に至っては金日成、正日父子と3将軍として写真が掲げられ、中国の胡錦濤主席訪朝の晩餐会に登場したとの情報から後継者は確実とみられていた。
 
 だが、真相は「金正日は『正雲は根っからの遊び人。正哲は女の腐ったの』と称していた。
 2人とも学業が勤まらず、仕方なしに2人をそばに付き添わせていた」(李教授)という。
 正哲はハリウッド俳優にあこがれて筋肉増強剤を飲み過ぎ、女性ホルモン過多分泌症で胸が膨んで女性の声になったとされる。
 エリック・クラプトンを追っかけて欧州で報道陣にもみくちゃにされたりと、世間知らずぶりをさらけ出した。
 
 それでも正男嫌いの軍部は正哲を担ごうとし、業を煮やした金総書記は後継者問題への言及を禁じ、「70歳になるまで後継指名しない」と宣言した。
 金総書記の義弟で中国式改革派の旗手、張成沢氏の後押しで基盤を固め始めたのが、日本で拘束されて以来、海外生活が長く後継者から転落したとみられていた正男だった。
 だが、復帰した矢先、父親の健康管理ができずに倒れさせる失態を演じ、軍強硬派を勢いづかせる結果を招いた。
 
 「金正日が後継者争いを禁じたのは、骨肉の争いで家族がバラバラになった自分の経験があるからだ。だが、自分が倒れ、後継者争いを強める皮肉を生んだ。
 三男が倒れたうえ、長男を後押しする中国と次男を担ぐ軍強硬派の暗闘が激化せざるを得なくなった」と李教授はみている。
 

●経営破綻したリーマン・ブラザーズの158年に及ぶ歴史にピリオドを打ったのは、39年間リーマン一筋を貫いたリチャード・ファルドCEO(最高経営責任者)(62)だった。経営危機から同社を再生させたカリスマ経営者は我が世の春を謳歌してきたが、最後は、「傲慢ゆえの悲劇の破綻」(英紙フィナンシャル・タイムズ)と金融界から切り捨てられた。
 
 「いわば帝王として君臨し、リーマンを急成長させた中興の祖ですが、そのワンマンぶりのボロが出てきた結果。俺たちをつぶしたら米国経済がダメになると不遜な部分があったのでしょう」と、国際政治経済学者の浜田和幸氏は話す。
 
 コロラド大卒業後、ニューヨーク大のビジネススクールの夜間コースでMBA取得を目指しながら1969年からリーマンで働き始めた。
 ゴールドマン・サックスと比べてもほとんど遜色ない力を持っていたリーマンは、84年、アメリカンエキスプレスに買収されてから大きな方向転換を強いられる。
 
 元リーマン社員は「投資機関は人材にも投資していかなければ戦っていけない組織なのに、結局はアメックスに負けた。
 それを立て直すために独立し、94年の再上場を果たしたのはすべて今のCEOの功績」と振り返る。
 その押しの強そうな外見から、ライバル社のCEOに「ゴリラ」と呼ばれ、敬遠されたこともある。
 救世主としてCEOの座に就いたファルド氏は業績を急激に伸ばし、最近10年は毎年1億8600万ドル(約200億円)に上る報酬を受け取ってきた。
 
 ワンマンぶりもエスカレートする。人事も好き放題で、対立する者は容赦なくクビを切り、2004年にはお気に入りの部下、ジョー・グレゴリー氏を後継者としてCOO(最高執行責任者)に抜擢。
 すべての指揮を任せられたグレゴリー氏は、ファルド氏の威光のもと無謀な投資に走った。
 サブプライム問題が悪化していた4月も、ファルド氏は「最悪期は過ぎた」(米紙ウォールストリート・ジャーナル)と平静を装ったが、元社員が「この問題が、これほどまで悪いとは思っていなかったのではないか」と話すように、悪いニュースがファルド氏に上げられることはなかった。
 
 かつては米誌ビジネスウイークの「CEOオブザイヤー」で「米国で最も尊敬されているカリスマCEO」ともてはやされ、昨年も「世界で最も尊敬されるCEO」(バロンズ誌)に選ばれた。経営に赤信号が灯った後も、アイダホの豪邸に引きこもるか、世界中のリーマン現地法人を大統領並みの待遇で訪問し、功成り名を遂げた余生を過ごしていた。
 こうした放漫経営に嫌気がさし、独立してブラックストーンなど世界最大級の投資ファンドを立ち上げた元社員もおり、「リーマンは大丈夫なのか」と心配する声もあがっていた。
 ウォール街で最も長く生き延びたCEOと言われ、米誌ビジネスウイークによると、退職金は現職CEOの中で最高の2億9900万ドル(約310億円)に達すると昨年11月時点で見込まれていた

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