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工業米給食病院拡散の 量刑軽し日本の犯罪 (09月19日)(金)

 くらい曇り23−27度C 8時 案件があって田中氏と要談(自宅) 9時 案件があって木村氏 八戸氏と要談(区内) 
 11時 田村氏 武田氏と要談(区内) 13時 三田氏と懇談(区内) 架電 来電 外山氏と案件があって要談(区内)
 18時 新経済生活センターの懇談会 吉野氏 今田氏と出席する(千代田区内) 台風の影響で夜半から風が強くなって来た。 夜は日比谷良雄「東京遊覧」を読む。
 

●共同通信 米中央情報局(CIA)のアーサー・ブラウン元東アジア部長は18日、共同通信と会見し、北朝鮮の金正日総書記(66)について「8月14日ごろに脳卒中を起こして昏睡状態に陥った」との情報を明らかにした。
 総書記は意識とある程度の判断力を取り戻したが「完全に回復する可能性は極めて低い」という。
 
 ブラウン氏によると、総書記は現在、事実上の夫人といわれる金玉女史と義弟の張成沢氏の介護の下、個室で療養中。
 金女史らは面会者を選別し、総書記の「代弁者」として意向を独占的に外部に伝え、影響力を高めていると述べた。
 同氏は北が中国に派遣を要請した軍医5人が病床に到着するまで約2日かかったとし、
 「脳卒中の場合、時間が経過すればするほど損傷が進む。48時間が総書記にとって良くなかったと思う」と述べた。手術は行われなかったとしている。
 
 同氏は「情報源から『総書記には判断をつかさどる大半の身体機能がまだ備わっている』と聞いたが、完全に回復したとは聞いていない」と言明。
 「体にまひが残っているとされ、普通に歩けるのか、3歩しか歩けないのか分からない」と述べた。 
 

●北朝鮮の金正日総書記の重病が伝えられるなか、海外メディアの話題をさらった本がある。
 30年間北を見続けてきた早大教授の重村智計さんが著した『金正日の正体』(講談社現代新書、756円)だ。重村さんの取材の結論は「金正日は既に死亡し、影武者が代行している」という驚くべきものだった。
 
 「なかなか公表できなかった話をそろそろ書いていいだろうと。
 北の情報を全くうのみにする人やすぐ否定する人たちがいるが、30年付き合ってきて北の情報をどう扱うかを書きたかった。 
 何でもあり得るという前提で事実をつぶしていくのが情報を扱う原則だ」
 
 −−2004年の小泉純一郎元首相訪朝時はすでに影武者だった
 「00年に車イス姿の金正日を見た人がいる。糖尿病の末期症状でやせ細り、ほおもこけていた。03年にはその人は金正日に近い人物から『亡くなられた』と知らされた。
 以前にも金正日は車イスと聞いた人は複数いたが、馬からでも落ちたんだと思っていた」
 
 −−以前とは声が違う
 「報道機関が04年の小泉訪朝後に以前の声との声紋比較を研究施設に依頼したが、全く声が違っていた。声紋の違いが影武者であることの決定打になった」
 −−影武者の1人は女性
 「何度か影武者を見た人によると、1人はすごく女性っぽく、顔もふくよか、手も柔らかかったという。
 腹を突き出した姿がよく出るのも胸(の膨らみ)を隠すためじゃないか」
 
 −−金総書記は日本にもよく訪れていた
 「1982−89年に日本に来ていたのは間違いない。喜び組の踊りも赤坂のダンスショーをパクッたもの。
 金正日の子供たちもしょっちゅう来日していて(長男の)正男が日本に来たのも事実上父親のマネをしたんだろう」
 −−後継者は
 「後継者を決めると影武者を殺さないといけなくなる。金正日に近い人物によると『影武者が死ぬまで後継者を決めないことになっている』という。
 後継者を決めると、いまの集団指導体制のパワーバランスが崩れることにもなる」
 
 −−北の女スパイが韓国で逮捕され話題になったが
 「日本はもっとすごい。以前は船で横浜に来ても誰もチェックしなかった。
 北朝鮮は工作国家だという認識がない。拉致問題はなぜ起きたか。日本の政治家は北の主権侵害に対する怒りを感じてこなかった。
 国家意識が非常に弱かったからいろんな問題が起きた」
 
 −−今後の北朝鮮は
 「米国は政権交代すると1年は朝鮮問題に手を付けない。南北関係は当面ダメ。
 日本との関係打開に動き出すだろうが、外務省は北の策略に引っかかっているか、意図的に協力しているといわれかねない状況。
 エサを投げたら向こうから下りてくるといった国会対策的手法で解決できると思い込んでいる。情報なしに外交はできない」 
 
 重村智計(しげむら・としみつ) 1945年中国生まれ。毎日新聞社ソウル特派員、ワシントン特派員、同紙論説委員を経て早稲田大国際教養学部教授。著書に『最新・北朝鮮データブック』『外交敗北』『韓国の品格』。
 

●カンザスシティー(米ミズーリ州)発 連合通信 
 マリナーズ・イチロー外野手(34)が、メジャータイ記録となる8年連続200安打を達成した。今季通算197安打で臨んだロイヤルズ戦。
 右翼線二塁打、三塁後方へ落ちる安打で王手をかけ、第4打席に遊撃内野安打を放ち、日米通算300回目の猛打賞(1試合3安打以上)で大台に到達した。
 8年連続200安打は、ウィリー・キーラーが1894〜1901年に達成して以来、史上2人目。
 近代野球とされる1900年以降では初。残り11試合で、あと15安打まで近づいた張本勲氏が持つ日本最多3085安打に挑む。
 
 107年の歳月を超えた。近代野球の草創期以来、だれも手をかけられなかった記録に、イチローが並んだ。
 2安打を放ち、王手をかけた8回表。遊撃前に転がったボテボテの安打が、野球の本場米国の歴史に新たなページを加えた。敵地ファンの祝福に、控えめにヘルメットを掲げても、達成感と解放感は、やはり格別だった。
 
 イチロー 「めちゃくちゃしんどかったです。今年は何としても200本を外せない年。
 0から意識する年でしたからね。めちゃくちゃうれしい。それを見せるか見せないかですけどね。」
 
 今年も、最大の難敵は重圧だった。7月29日。日米通算3000本安打を達成した当時以上に、イチローの心には重苦しさが充満していた。
 毎年、170本を通過する時期に沸き起こる、不安を伴う感情。
 昨年「そこから逃げるのではなく、正面から向き合う」と覚悟して超えたはずの苦しさに、今年も8月下旬からさいなまれた。その感情は、イチローが「恐怖」と表現するほどだった。
 
 イチロー 「また来やがったな、ってね。昨年はクリアしただけで次に生かされるかというと、まったく別でした。(安打が)欲しいと思う気持ち、それが邪魔する。できないかもしれないという、恐怖です。それは『8』から来るもので、まず並ばないといけない。それを加味したことで(過去とは)違ったんです。」
 
 重圧をはね返すための準備は、長い時間をかけて取り組んできた。
 04年に262本の年間最多安打を達成し、技術的な試行錯誤の時期を終えると、その後は、自らの内面を磨くことを強く意識するようになった。
 05年オフ、ドラマに出演し、ロック界のスーパースター矢沢永吉と対談したのも、グラウンド以外で新たな刺激を吸収し、異なる分野の「一流」が持つオーラを感じ取るためだった。
 それでも、「恐怖」は襲ってきた。孤独に重圧を感じる一方で、チームは地区最下位を低迷する。試合後は、早めにクラブハウスから立ち去ることを心掛けた。
 
 イチロー「 マイナスの空気が皮膚から入ってくる。それを避けたかった。
 これまでより僕の世界を作り上げていたと思います。」
 あえて自分のペースを崩さなかったのも、質の高いプレーを続けようとするプロ意識からだった。周囲が期待するハードルが高くても、ひるむことはない。残り11試合。張本氏が持つ「3085」の日本記録にも、真っすぐに視線を向けた。
 
 イチロー「 やりたいですよ。やろうと思ってますしね。絶対超えてやる、そう思ってます。」
 行く末に偉大な先人達の金字塔が見える限り、イチローがその足取りを変えることはないという。

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