<カレンダーへ戻る
バックナンバー 

地球上未曾有の局面暴風圏 金融危機の妖怪変化 (10月26日)(日)

 朝から小雨のち曇り17−23度C 6時 起床
 9時 案件があって木田氏が来訪懇談 13時30分 江戸川区川柳大会に出席して挨拶(江戸川区総合文化センター)
 15時 砂州氏 野村氏と案件があって懇談(区内)
 夜は細川護煕「ことばを旅する」を読む。
 

●米欧の金融危機の深刻化により、外国為替市場で円が主要通貨に対して急騰する「円独歩高」が止まらない。
 24日のロンドン市場で円相場は一時、1ドル=90円台と約13年2カ月ぶり、ユーロに対しても一時、1ユーロ=113円台の円高水準を記録し、株安を一層、推し進めかねない勢いだ。
 超円高は85年と95年と過去2回起き、輸出に頼る日本経済を翻弄(ほんろう)した。今回は、金融当局の介入も難しく、有効打を見いだせない状況だ。
 
 最近の円高局面は過去のどれとも違う。ドル安によってもたらされた訳ではなく、背景には金融危機に伴う邦銀の損失が相対的に少ないので「円が安全な通貨として買われている」(国際金融筋)ことがある。
 欧米のファンドや投資銀行などが「円キャリー取引」解消を急ぎ、資金返済に円を大量に買うことも拍車を掛けている。
 ドルは海外からの投資資金の米国回帰もあり、円以外に対してはむしろ強含み。
 ユーロ急落も「これまでの過大評価の修正」(米シンクタンク)の面もあり、欧州各国が介入に動く気配はない。
 
 日米欧の協調介入は00年9月のユーロ安阻止が最後。日本は01年以降、単独で円売り・ドル買い介入を繰り返したが、円高阻止というより不良債権問題と景気悪化を背景に進むデフレスパイラルに歯止めを掛ける「円安誘導」が実態だった。
 日本も、04年3月を最後に為替介入を停止。その後も、円安傾向が続いたのは、ファンドなどが円キャリー取引を活発化させたからだ。
 しかし、米発の金融危機が深刻化した年明け以降、為替相場は一変。
 米大手証券、ベア・スターンズが事実上破綻(はたん)した3月には、ドルが全面安となり、1ドル=95円台まで円高・ドル安が進行。先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)は一時、ドル防衛の協調介入も検討した。
 
 今回、市場では「企業業績の悪化など円高で困っているのは日本だけだ。
 欧米には協調介入の理屈がない」(JPモルガン・チェース銀行の佐々木融氏)との指摘もある。日本単独の円高阻止介入に乗り出すことも考えられるが、「3日で10円も進む相場の流れを単独介入で変えるのは無理」(国際金融筋)。財務省も「かつてない市場の変動ぶりで、為替介入の影響が読めない」と苦慮している。
 
 80年代以降の外国為替市場での円高・ドル安基調は、85年9月22日の「プラザ合意」が起源だ。日米英、西ドイツ(当時)、フランスの5カ国(G5)蔵相(財務相)・中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに秘密裏に集まり、ドル高是正に合意した。
 当時の米国は、レーガン政権の軍事費拡張と大型減税で財政赤字が急膨張。
 米国債を円滑に売りさばく目的と、インフレ抑止から高金利政策を取ったが、それが実力以上のドル高を招いた。
 ドル高と高金利は米産業の国際競争力を低下させ、景気が低迷。
 企業が生産拠点を海外に移す「産業の空洞化」が加速し、雇用不安が広がった。
 一方、「強いドル」の恩恵で割安な日本製品などの輸入は急増した。
 米国は84年、純債務国に転落し、貿易赤字も1000億ドルの大台を突破。財政収支と貿易収支の「双子の赤字問題」が深刻化した。
 
 議会は、保護主義の動きを強め、G5は対応策を迫られた。
 そこで出たのが、為替のドル高是正による調整。各国当局はプラザ合意後の週明けから市場でドルを一斉に売る協調介入を開始。
 1ドル=240円台だった円相場は1年後にG5の想定を超える1ドル=150円台まで急騰した。
 円高によるドル建て価格急上昇で日本企業の輸出は急減、日本経済は円高不況に直面した。
 この苦境に、企業はコスト削減と米国やアジアなど海外生産拡大で対抗。為替変動への体質強化を図った。
 
 次に円が急騰したのは95年春。バブル崩壊で内需が低迷する中、日本企業は再び輸出依存を強め、米国の対日貿易赤字が急増。
 クリントン政権は日本からの自動車輸入急増が雇用を脅かしていると主張した。米国が、円高誘導の口先介入を繰り返したことも手伝って円相場は4月19日に一時1ドル=79円75銭まで急騰。
 円高不況の再来に日本企業は一段のコスト削減と、アジア向け販売拡大など対米依存の見直しに動いた。
 日米自動車摩擦が収束に向かうと、米国はドル安政策を転換。
 米景気後退で利下げが避けられなくなり、投資家のドル資産離れが進んでドル暴落への危機感を高めたからだ。
 6日後の25日、G7は「ドル相場の秩序ある反転」で合意。
 日米欧が協調して利下げやドル買い介入を行い、超円高は収束した。
 米国は「強いドル」政策の下、日本やアジアなどが貿易黒字でためたドル資金を米国市場に還流させ、自国の経済成長を高める戦略を継続。
 その後、日本の景気低迷もあり、今回まで超円高は訪れなかった。
 
円キャリー取引きとは、
 低金利で借りた円を、高金利の海外通貨や高利回りの金融商品で運用して収益をあげる投資手法。
 各国の金利差に注目してヘッジファンドが活用した。日本が不良債権問題や景気低迷で90年代以降、ゼロ金利政策や超低金利政策を長期間続けたことで、取引が膨らんだ。ファンドなどは借り入れた円をすぐに売って外貨に替える傾向が強い。
 
 
●1981年(昭56)の米ロサンゼルス銃撃事件で今年2月に米自治領サイパンで逮捕され、今月10日に移送されたロスで死亡した三浦和義元会社社長(61=日本では無罪確定)の妻が25日、三浦元社長の遺骨とともに日本に帰国した。
 関係者によると、三浦元社長は23日にロスで火葬されたという。白い布で覆われた箱を抱え、成田空港に到着した妻は無言だった。
 
 三浦元社長が、妻の両腕の中に抱えられ、静かに帰国した。妻は、12日の出国時と同じ黒いコート、黒いパンツ、黒い靴姿で関係者の男性とともに午後5時ごろ、成田空港に到着。
 白い布で包まれた、自分の肩幅の半分ほどの小さな箱を胸に抱きしめ、無言で歩いた。
 空港には報道陣約60人が集まったが、妻の疲れて無表情な目は先を行く関係者の足元をぼんやりと眺めるだけだった。
 
 三浦元社長は2月にサイパンに出発し、同22日に日本に帰ろうとした際にサイパンの空港で逮捕され、拘束された。 その後、ロスに移送された今月10日にロス市警本部の留置場内で首をつった状態で発見され、死亡が確認された。
 日本を出た2月以来、約8カ月ぶりの帰国だった。妻はロスから日本に向けて出発後、元社長の死について「いつの日か、信実(原文まま)が明かされ私達の心の中に平穏が訪れてくれる時を、願っております」とのコメントを在ロス日本総領事館を通じて出した。
 
 関係者によると、三浦元社長は23日に荼毘(だび)に付された。
 元社長の死因をめぐっては、ロス市警が留置場内で自殺したと発表。
 しかし、元社長死亡後に日本からロスに向かった妻ら親族、関係者はロス市警の自殺の発表を「納得できない」として弁護人のゲラゴス弁護士に相談。
 ゲラゴス氏は独自に検視を依頼した病理学者の結論を基に「他殺だった」と主張。
 連邦地検に捜査を求める方針を示している。ロス郡検視局が今後、死因を正式に公表する予定だという。

<カレンダーへ戻る