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松坂の快投乱麻完封に WBCキューバを破る (03月16日)(月)

 竹中平蔵氏が「麻生政権の正当性を問う」という論文を産経に載せている。
 快晴のち曇り 7−15度C 先週と異なって朝から風も無くて暖かい。 8時35分 トーヨーで打ち合わせ 
 8時50分 区へ 架電 来電 打ち合わせ 執務 
 10時 小林事務所 池田氏が来訪要談  11時15分 多田区長と要談(応接室) 13時 退庁 13時30分 下倉氏と案件があって要談(葛飾区内) 15時 案件があって溝口氏 朝田氏
 竹内氏と要談(区内) 18時30分 自民党区議団と業界団体などとの懇談会 講師 三宅久之氏(タワーホール船堀) 夜は小雨が降っていた。 村上和雄「笑う 遺伝子」を読む。
 

●西松建設からの違法献金事件で公設第一秘書が逮捕され、検察との対決姿勢を強めている民主党の小沢一郎代表。
 その姿は、同じく検察と全面対決した2人の師−−田中角栄元首相と金丸信元自民党副総裁の姿と重なって見える。
 同事件をめぐっては、かつて小沢氏の側近だった自民党の二階俊博経産相の名前が取りざたされているのも何やら因縁めいており、
 「まるで検察による角栄一家壊滅作戦だ」(自民党筋)といった声も出ている。
 
 「こうした(収賄行為を行ったと決めつける)風潮は真の民主主義体制を維持し、発展させていくうえで、はなはだ憂うべき現象だ」
 今太閤と呼ばれた一方で、金脈政治の頂点に君臨していたとも言われる田中元首相は1976年4月、ロッキード事件にからむ自らの疑惑に、こう反論した。
 だが、その3カ月後、東京地検特捜部は電撃的に田中氏を逮捕した。
 当時34歳だった小沢氏は田中氏の側近。小沢氏らは指揮権の発動を内閣に要請したが、三木武夫首相と稲葉修法相はこれを拒否。「田中逮捕」は検察の力を世に知らしめる大きな契機となった。
 
 政治評論家の鈴木棟一氏は、当時の小沢氏についてこう語る。
 「政治の恩師であり、実の父以上の存在だった田中氏逮捕への怒りから、小沢氏は一審判決までの6年間、田中公判のすべてを傍聴した。疑惑の全体像を最後まで見届けたうえで、彼なりに異常な立件だったと確信したことが根深い検察不信の原点になっている」
 小沢氏自身、自著『政権奪取論』で「なぜ田中のおやじの問題だけ取り上げて、悪い悪いとスケープゴートにするんだと思った」と述べている。
 
 一貫して無罪を訴え続けた田中氏だが、最高裁に上告中の93年12月、死去。審理途中で公訴棄却となり、対決に決着はつかなかった。
 そして、再び歴史は繰り返す。92年8月、東京佐川急便による金丸元副総裁への5億円ヤミ献金疑惑が発覚。
 検察が捜査に乗り出し、金丸氏は副総裁を辞任。金丸氏が会長をつとめていた竹下派は大混乱に陥る。
 
 このとき、小沢氏は竹下派7奉行の1人だった梶山静六氏と激しく対立。
 検察を刺激しないよう主張した梶山氏に対し、「小沢氏は検察と全面的に対決しようとした。しかし、途中で形勢不利と分かり、金丸氏の議員辞職で幕引きを図った」(関係者)。
 同年10月に金丸氏は議員辞職したが、検察は追及をやめず、翌年3月、金丸氏を在宅起訴。小沢氏の面目は丸つぶれとなった。
 
 金丸氏は「おれが天下の大罪人とでもいうのか」と検察への不満をもらしていたが、田中氏とは対照的に
 「悪いことをした」と容疑は認めていたという。しかし、小沢氏は先の自著で「捜査には断固反対した。検察のやり方はおかしい」と変わらぬ検察批判を行っている。
 そして、三度(みたび)−。小沢氏にとって、今回の対決は自身が主役の“三度目の正直”だ。
 
 一方、小沢氏とともに名前の挙がっている二階氏も、かつて小沢氏の側近として知られ、竹下派時代には金丸氏のマージャン相手を務めるなど、こちらもいわば“由緒正しき”末裔と言える。
 92年の自民党竹下派分裂の際には、小沢氏に同調して羽田派結成に参加。
 その後、小沢氏と共に自民党を離党し、新生党、新進党、自由党と共に渡り歩いた。
 
 当時を知る政界関係者は、
 「小沢氏が最も信頼する子分の1人が二階氏だった。自民党離党後、小沢氏と他の幹部の間で確執が起きた際には、二階氏が間に入って取り持った事もあったほどで、小沢氏の政治手法を目の当たりに学んできた。それだけに、二階氏はメキメキと力をつけ、ゼネコン関係者の間では『東の小沢、西の二階』とまで言われる存在になった」と振り返る。
 
 その二階氏も2000年4月に小沢氏と決別した。前出の鈴木氏は
 「小沢氏の検察不信は相変わらず根深いのだろうが、本質的には筋違い。子供じみた検察批判はお粗末すぎる」と話すが、2人の師は黄泉の国で何を思っているのだろうか。
 小沢、二階両氏は良くも悪くも“角栄型政治”継承者といわれ、明確な後継も見当たらないことから、この事件は角栄一家と検察との最終戦争といえそうだ。

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