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プロレスの経営不振火だるまの 三沢光晴壮絶死する (06月20日)(土)

 昨夜会合のあと友人具合が悪くなって救急車で病院に行った。 今日聞いたらミル貝が当たったらしい。
 18−26度C 10時45分 区内小岩の市川さんのところへ検査に行く。 前回の検査は良好だった。
 11時30分 案件があって吉中氏と要談(区内)
 午後 原稿 カレント7月号 編集後記を書いてメール
 テレビで競馬を見る。 夜は平嘉男「高野山百景」を読む。
 

●自民党が浮足立っている。麻生太郎首相の腹心だった鳩山邦夫前総務相の辞任騒動で支持率が急落、「麻生首相では次期総選挙を戦えない」として「麻生降ろし」が再燃しているのだ。
 しかし、白鳥令・国際教養大教授の試算では、「ポスト麻生」で選挙をしても議席は「自民197、公明32、民主224」となり、与党が過半数(241)を割り、自民党は下野するという結果が出た。いよいよ八方ふさがりなのか。
 
 「民主党は西松事件でコケたが、小沢一郎氏を代表から外して選挙対策、人気がある岡田克也幹事長で国民の支持を集め、菅直人代表代行で政策を集約し、鳩山由紀夫代表が調整する形で、党としてうまく完成した。
 自民党は政策で民主党の『政権交代』をくつがえすだけのものがない」
 
 白鳥氏はこう語り、「政権交代の可能性は極めて高い」と予測した。
 投票日については「早期解散では自民党は大敗するので、麻生首相は金縛りにあって選挙は先送りになる」として9月6日と設定。
 これは「都議選後に麻生降ろしがあった場合でも、新首相の下で行える常識的な日程」なのだ。
 分析方法は、現状の自民批判で「従来の自民党票が民主党に流れる割合」と、現在約150ある共産候補のいない選挙区で、「共産党票が民主党に流れる割合」を設定。それを加味したうえで、すべての小選挙区について情勢を分析、比例区は過去の傾向をベースにして、変数で割り出した。
 
 例えば、党首力や政策に差がないなど「風」が吹いていないのに加え、共産党票が民主に一切流れない場合が「自民↓民主0%、共産→民主票0%」に当たる。
 白鳥氏は「小沢氏が代表を退いたことで、これまでは小沢氏を『古い自民党』と見て民主党を敬遠していた層が支持し始めた。
 同じ理由で共産党支持層も民主党に傾きやすくなった。一方、自民党は年金問題、世襲、官僚の好き放題を放置してきた。
 かつて社会主義が崩壊し、そのイメージが強いとして社会党が名前を変えるに至った。
 それと同じくらい『自民党』という名前への嫌悪感は高まっている」と指摘。
 そのうえで、麻生首相で選挙をすれば「自民→民主2%、共産→民主80%」で自民188(うち小選挙区124、以下同)、民主232(156)と予測する。
 
 ただ、鳩山邦夫氏の辞任で内閣は大打撃を受け、7月5日の静岡県知事選で敗れ、7月12日の東京都議選で自民党が第1党から転落すれば、「麻生降ろし」が起きるのは必至の情勢だ。
 その場合、白鳥氏は「自民党が盛り返すためのポスト麻生は(1)女性(2)テレビによく出ている議員(3)世代交代(4)この際、徹底的に古い自民党に戻す−という4つの選択がある。(1)ならば小渕優子少子化担当相が最高だが、妊娠中なのでムリ。(2)なら舛添要一厚労相、(3)ならば菅義偉選対副委員長で、(4)なら町村信孝前官房長官らだ」と分析。
 
 ただ、それでも「舛添氏は目立ちたがりすぎ、菅氏は当選4回で少なすぎ、町村氏は選挙に弱いという一長一短なので、劇的な回復にはならない」とし、その場合でも「自民→民主1%、共産→民主80%」の自民197(130)、民主224(150)で、民主が比較第1党を取り、政権交代が起こるというのだ。
 
 個別の選挙区では、町村氏のほか、久間章生元防衛相や津島雄二元厚相ら大物が落選危機になるという。
 白鳥氏は「次の選挙は『自民党』という看板がなくなるかもしれない危機だ。負けてもともとなんだから、未来に備え、菅氏を首相にすればいい。
 世襲ではなく、秋田から集団就職で上京し、働きながら夜間大学に通った。
 秘書から市議、国会議員となったたたき上げ。まるで田中角栄元首相だ。人気が出る。来年の参院選や総選挙なら期待が持てる」と提言した。
 

●毎日新聞の記事から・・・
 北京発 西岡省二特派員
 北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(67)の最有力後継候補、三男正雲(ジョンウン)氏(26)が、国防委員会で「委員長代行」として執務していることが分かった。
 北朝鮮指導部に近い複数の関係者が毎日新聞に証言した。「委員長代行」は正式な職位ではないが、国内最高ポストの国防委員長(金総書記が兼任)を補佐する立場とみられ、後継者としての地位をさらに固めたと言える。
 
 正雲氏については、北朝鮮軍の中枢機関、朝鮮人民軍総政治局が今年初め、後継者に選ばれたとする内部通達を出した。
 その後、国防省に相当する「人民武力省」と秘密警察「国家安全保衛部」を中心に後継体制の整備が進められ、武力省と保衛部では「金正雲領導(指導)体系のもとに」との用語が文書で使われていた。
 2回目の核実験(5月25日)直後には、複数の在外公館に後継者決定の電文が送られたという。
 
 今月上旬には、朝鮮労働党指導部が全国の党組織に対し、正雲氏の後継内定を伝達した。
 その際に「今は(金総書記が金日成(キム・イルソン)国家主席=故人=の後継に決まった時とは)時代が変わったため、後継者が誰であるか隠す必要はない」とする金総書記の「マルスム(お言葉)」も添付されたという。
 
 関係者は「正雲氏は明確に将軍様(金総書記)から後継指名を受けたようだ」と指摘。
 「正雲氏は党にも人民武力省にも籍はなく、国防委員長の代行・代理の立場に専念している。
 将軍様に万一のことがあれば、そのまま委員長に上がるという意味だろう」と分析している。
 

●毎日新聞の記事から・・・・
 衆院選の前哨戦として東京都議選(7月12日)がにわかに注目を集めているが、都議の破格の待遇をご存じだろうか。
 月給、海外視察、公用車の割り当てと、どれをとっても地方議員の中では突出した厚遇ぶりだ。国会議員と比べると−−。
 都議の月給は税込み103万円で、都道府県で最高額。全国平均は83万円(08年4月現在)だ。
 期末手当と合わせると、年収は1740万円(09年度)になる。
 これと別に、調査研究用の政務調査費は1人月額60万円で全国一。
 本会議などに出席する際は、住所に応じて交通費が一律1万円か1万2000円支給される。年1人平均40回分で、徒歩で通える場所に住んでいてもよい。電車賃は23区内なら都庁まで高くても往復1000円前後、八王子まで特急を使っても2500円程度。実費精算が全国的な流れだが、見直しの機運は高まっていない。
 
 一方、国会議員の月給は130万円で期末手当と合わせた年収は2132万円(同)。
 また文書通信交通滞在費が月100万円、政務調査費にあたる費用が月65万円。交通費では、JRの無料パスや航空券が手当てされる。
 
 都議会で過去4年間行われた海外視察は6回で、自民、民主、公明の都議30人が参加した。
 07年に民主がフィンランドやグリーンランドを訪れた際の費用は1人269万円。
 同年に自民がエジプトやスペインへ行った際はピラミッドやナイル川巡りも含み、1人228万円だった。
 「年15人、1回の日程は10日以内」との申し合わせがあるが、予算上の制限はない。共産党の調査によると、全都道府県で07年度に海外視察を実施したのは17議会。経費は1人平均82万円だった。
 豪勢な都議の視察に、中身が伴っているのかは疑問だ。昨年、自民・公明合同の視察と民主の視察を巡り、報告書に既存の文献からの「盗用」があったことが発覚している。
 
 公用車も国会議員並みだ。都議会では議長、副議長と自民、民主、公明各会派の幹事長計5人に専用車がある。このほか自民に3台、民主と公明に各2台の会派専用車がある。共産はいずれも辞退している。
 さらにどの議員も使える車が8台。いずれも運転手付きだ。
 過去に選挙運動に使って問題になったため「利用も控え気味になった」(議会関係者)というものの、公用車の経費は昨年度で約2億円に上るとみられる。
 全国的には、公用車は正副議長だけというのが一般的だ。
 国会議員の公用車は衆院に136台、参院に100台。正副議長や各種委員会の委員長には専用車があり、残りを会派の人数比に応じ割り当てている。
 交通費支給額と実際にかかった費用との差額分を法務局に供託している後藤雄一都議は
 「議会はお友達クラブになっていて、厚遇を見直そうという声も上がらない」と話す。
 

●読売新聞の記事から・・・
  北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(51)が読売新聞の単独インタビューに答え、帰国後7年で初めて、拉致された時の状況や北朝鮮での暮らしぶりを語った。
 言葉を選ぶように振り返った「北」での生活は、家族のために望郷の思いも封印、ただ、必死に生きたというものだった。
 
 2002年10月15日、一時帰国の形で24年ぶりに故国の地を踏んだ夜、東京・赤坂のホテルから見た景色が今も胸に残るという。
 マスコミのカメラを避けるため閉じていたカーテンを、深夜、妻の祐木子さん(53)とそっと開けた。
 眼前には、輝くばかりの夜景。前日に見た平壌の暗い夜との落差に「拉致の記憶がよみがえった」。
 
 それは突然だった。祐木子さんと新潟・柏崎の海岸を歩いていた1978年7月31日夜。
 男たちに袋に押し込まれ、ボートで連れ去られた。殴られ腫れた目に柏崎の街の灯がにじんだ。
 「優しい光でした。が、2日後に着いた北朝鮮で見たのは、アパートの窓からこぼれる裸電球の暗い光。
 その差に、ああ、全く違う所に連れて来られたんだと」
 
 「日本に帰りたい」という思いは、80年に結婚、やがて2人の子供が生まれたのを機に消し去った。
 「子供が少しでもまともに暮らせるようにするので精いっぱい」だったという。
 とはいえ、時には心が揺れた。韓国人歌手キム・ヨンジャさんが平壌で朝鮮半島の統一を祈る「イムジン河」を歌った時のこと。
 鳥ならば空を飛び、南北を分断する川を越えられるのに、という歌詞に、望郷の念で涙腺がゆるんだ。自分もギターを手に、何度も「イムジン河」を口ずさんでは心を慰めた。  「でも(北朝鮮の人は)南北の統一を願っているとしか思わなかったでしょう」
 
 誰にも理解してもらえぬ孤独−−。平壌で公衆電話を見つけ、思わず受話器を取り、ダイヤルを回した時にも感じたことだった。
 「もちろん、かける相手はいないし、日本に通じるはずもない。
 なのに、私が秘密の電話をしていたと密告されてしまった」
 生きることに努力が必要だった。米の作柄が悪ければ、配られる穀物の9割が雑穀になる。
 冬場の貴重な食料のキムチは、一家4人で毎年1・4トン漬けた。停電が続けば山で薪を拾った。
 
 だから帰国後は、何にでもチャレンジできるのがうれしかった。
 市役所に勤めたが、05年5月には韓国小説「孤将」を訳して翻訳家デビュー。新たな道を選んだ背景には、子供たちへの思いがある。
 「私は韓国語ができる。『北』での暮らしを空白にせず、負も生かす道があると教えたかった。『北』で生まれた自分を否定するな、とも」。誇らしげな父の顔になった。
 
 拉致問題への世間の関心が低くなっていることに不安を覚える。
 どうすれば世論を喚起できるか。答えの一つが取材を受けることだった。
 24日には拉致への思い、北朝鮮での生活などをつづった手記「半島へ、ふたたび」(新潮社)を出す。
 
 「まだ話せないことがある。けれど、話せると判断したことは話していく。被害者として何ができるかを考え、残された人が一日も早く帰れるよう努めたい」(村田雅幸)
 

●現在の政治状況と幕末を重ね合わせる見方が、永田町内外で広まっている。
 日本郵政の社長人事をめぐる「鳩の乱」の影響で、内閣支持率は政権維持の「危険水域」とされる10%台まで急落。 自民党内から「このままでは下野するしかない」といった悲鳴も噴出している。
 首相は、自民党時代に幕を降ろす「最後の将軍」になるのか。
 「この際、大政奉還を決断して国民の懐深く帰るべきだ」
 自民党の古川禎久衆院議員からこうブチ上げられた首相は、幕末に大政奉還を行った徳川15代将軍・慶喜と似ている。
 
 誕生月はともに9月。首相は麻生財閥の御曹司として生まれ、慶喜は水戸徳川家の七男として生まれた。首相も何度も自民党総裁選に挑戦して最高位に登りつめ、慶喜は何度も将軍候補に浮上したのち将軍になった。 
 「ともに期待されてトップに立ったが、現実は厳しかった。
 総選挙から逃げてきた首相と、鳥羽伏見の戦いで江戸に逃げ帰った慶喜の精神構造は近いかもしれない」(民主党中堅)といった声もある。
 
 幕末と現在の状況も酷似している。「江戸の風格」や「幕末バトル・ロワイヤル」などの著作がある文芸評論家の野口武彦氏は「政体(=国家の統治形態)末期特有の類似点がある」といい、3つのポイントを挙げる。
 第1は「公と私」。野口氏は「幕府は『公儀』と呼ばれ、公のために権力を行使していたが、幕末は徳川家のための権力行使が多くなった。現在、(国民の利益より)自民党益や派閥益、省庁益などの優先が問題視されている」と語る。
 
 第2は「財政的破綻」。「幕末、収入が支出に追いつかなくなった。借金は膨らみ、幕府の財政はひっ迫した。(国の借金800兆円以上の)今とそっくりだ」
 第3は「人材の枯渇」。
 「幕末は将軍や老中が次々に入れ替わった。現在、首相や大臣が短期間で次々と交代している。支配層の人材が枯渇するのは、政体末期の特有現象といえる」
 
 天下分け目の次期総選挙を見据え、世論調査では政権交代を求める声が高まっているが、野口氏は
 「民主党が幕末の志士かは知らない。政権を獲っても、官僚の抵抗が相当あるだろう。簡単じゃない。明治維新なき幕末状況がダラダラと続くのでは」と不気味な指摘をしている。
 

●13日の試合中に頭を強打して亡くなった人気プロレスラー、三沢光晴さん(享年46)の所属団体「プロレスリング・ノア」は、事故翌日の14日も福岡市内で予定通り興行を開催した。
 社長兼看板レスラーの三沢さんの立場は、プロ野球のプレーイングマネジャー(選手兼監督)を上回る過酷な重職。
 とりわけ、今年3月にテレビ地上波中継を打ち切られてからは金策に頭を痛めていたという。
  「不況下で苦悩する中小企業の社長さんさながら」との指摘も聞かれる。
 
 大黒柱の三沢さんが亡くなったのは13日、広島での試合中。
 ノアの一行は14日に福岡へ移動し、ボウリング場を併設する「博多スターレーン」に観客2600人(超満員=主催者発表)を集めて追悼興行を敢行した。
 あの力道山の次男である百田光雄副社長(60)は「開催に踏み切った一番の理由は、三沢社長自身が満身創痍の状態でも必ずリングに上がってくる人だったから。
 我慢強く、泣き言や自分のけがのことを一切口にしなかった。
 選手全員で話し合い、その三沢社長の遺志を継ぐ意味でも、決行すべきとの結論に達した」と説明した。
 
 会場に設置された祭壇に向かって、男性ファンは泣き崩れた。「満身創痍」は決して大げさではない。
 特に、三沢さんが首に“爆弾”を抱えていたのは周知の事実。
 一昨年1月に途中から試合の記憶をなくすほどの激闘を演じ、試合後に直行した病院で「頚椎(けいつい)ねんざと脳しんとう」と診断されたことも。
 事故が起こった当日も「肩がきつい」と漏らしていたという。
 
 それでも看板レスラーの宿命で、おいそれと欠場するわけにはいかなかった。
 プロレス界全体を見渡しても、ジャイアント馬場さん(享年61)がこの世を去り、アントニオ猪木も第一線から退いた今、三沢さんは残された数少ないスターのひとりだった。
 
 社長業の心労も重なった。1999年にジャイアント馬場さんの死去による内部抗争に伴い、全日本を脱退した三沢さんが2000年7月に旗揚げしたノア。資本金1000万円で従業員は30人という企業だ。
 日本では米国で大人気のWWEのように株式を上場している団体はなく、全日本、新日本とともに「メジャー」と呼ばれるノアでさえこのような中小企業。
 他の団体は、零細企業といっていい。かつてのプロレス人気に陰りが見える中、三沢さんはこの不況下で苦しむ一般の中小企業の社長同様、金策に必死だったという。
 
 今年3月、日本テレビがノアの地上波中継を打ち切った。現在はCS放送の「日テレG+」と「サムライ」が中継しているが、「放映権料が年間1億5000万円とも2億円ともいわれた地上波に比べると、CS放送のそれは微々たるものでケタ違い。
 三沢社長は大幅な収入減に頭を抱え、体調が悪いとも漏らしていた」(プロレス関係者)といわれる。
 日テレ関係者が、その経緯をこう説明する。「ウチは昨年9月の中間連結決算で赤字に転落してから、
 『費用対効果』を旗印に思い切った経費節減を断行しています。
 巨人戦のナイター中継を減らし、メジャーリーグの放送権からは手を引きました。
 ノアの地上波打ち切りも同じ流れの中にある」。100年に一度という不況が、日テレの財政を圧迫。間接的に中小企業のノアを資金難に陥らせたという構図だ。
 
 くしくもこの日、ノアの会場と同じ福岡市内にあるヤフードームで、巨人がソフトバンクと戦っていた。
 球界きってのプロレスファンとして知られる原監督は試合前、「組織をまとめる上で、自分のことだけを考えてはいられないという意味で(社長と監督には)相通ずるものがある。断腸の思いで天国へ行かれたのだと思う。何度も面識があったわけではないが、同世代の男として尊敬する人物」と三沢さんの死を悼んだ。
 広島中央署の調べによると、死因は頭部を強打したことによる「頸髄(けいずい)離断」と判明。
 事故直後に心肺停止状態に陥り、蘇生処置のかいなく、帰らぬ人となった。
 満身創痍ながら看板レスラーとして“強行出場”してきたことや会社経営の心労が命を縮めた可能性もある。
 サラリーマン諸氏、特に中小企業の社長さんには、何とも身につまされる話ではある。
 
 プロレス界の現状は、かつての「新日本」と「全日本」時代から一変。1999年ジャイアント馬場死去による内部抗争で、三沢が全日本から脱退し、「ノア」を立ち上げ。新日本を解雇された橋本真也(故人)が「ZERO−ONE」を結成し、メジャー4団体時代となる。
 また、米国で人気の「WWE」が日本でも受け、その影響を受けたエンターテインメント志向が強い「ハッスル」などが興行されている。
 そのほか、「みちのく」「大阪」など大小40団体以上が活動しているとい。
 
 三沢さんの死亡事故 ノア広島大会(13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナ)のメーンイベント、GHCタッグ選手権に潮崎豪とのタッグで出場。
 第17代王者・斎藤彰俊、バイソン・スミス組に挑戦した。
 開始から25分過ぎ、斎藤の打撃を受けた三沢さんは、さらに急角度のバックドロップを浴び、頭部をマットに強打。そのまま意識を失った。
 専属トレーナーが心臓マッサージを繰り返し、医師が、自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みた。すぐに救急車で、広島大学病院(広島市内)に搬送されたが、午後10時10分、死亡が確認された。

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