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さまざまな声あり上げてクオレの会 松崎乃理子の弟子の集いて (06月27日)(土)

 快晴であるが湿度が高くて非常に蒸し暑い一日であった。 22−32度C 午前中 原稿 午後は外出
 夜は手紙 溜まった書類
 雑誌 歌集 単行本の整理に精を出したが、疲れて草臥れてお仕舞い。
 

●電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われた元大学院教授、植草一秀被告(48)の上告審で、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は、植草被告側の上告を棄却する決定をした。
 植草被告を懲役4月の実刑とした1、2審判決が確定する。決定は25日付。
 
 裁判を通じて、植草被告側は「被害者は被告を犯人と間違えた。被害者や目撃者の証言は信用できない」などと、一貫して無罪を主張。
 しかし、1審東京地裁、2審東京高裁はともに、被害者らの証言の信用性を認め、実刑を言い渡していた。
 
 1、2審判決などによると、植草被告は平成18年9月13日夜、品川−京急蒲田間を走行中の京浜急行車内で、女子高生のスカート内に手を入れる体に触るなどの痴漢行為をした。植草氏は江戸川区の出身で、有望な学者と見られていた。
 

●以下は、植草一秀氏の今日のブログである。・・・
 
2009年6月27日 (土)
痴漢冤罪事件最高裁不当判決について
 
 私が巻き込まれた冤罪事件について、最高裁第三小法廷が上告を棄却する決定を下した。言語道断の不当判決である。
 もとより政治的な背景のある事案であるから、公正な裁判が行なわれるとは考えられなかったが、先般、痴漢冤罪事件で最高裁が逆転無罪判決を示したため、私のケースにおいても適正な判断が示されるのかどうかを注目してきた。
 
 この事件でも、私を犯人とする証拠は被害者とされる女性のあいまいな証言だけであった。
 事件を目撃したという証人が出廷したが、警察に出頭した日付も公判での証言と事実が異なり、証言内容にも重大な矛盾が数多くあり、極めて信憑性の低いものであった。
 
 公判では、もう一人の目撃証人が名乗り出てくれ、法廷で証言してくれた。
 この証人は、事件があったとされる時間帯に、私が何もせずに吊革につかまってぐったりしている様子を明確に記憶されていたことを克明に証言してくれた。
 証言の詳細な内容は事実に即しており、極めて信憑性の高い証言を示して下さった。
 
 また、私の手指の付着物から採取された獣毛繊維数本が、被害者の着用していたスカート構成繊維と「類似している」との警察証言が証拠採用されたが、弁護側が私が駅事務室でもみ合った駅員の制服生地の構成繊維と比較する大学教授鑑定を行なったところ、手に付着した獣毛繊維が、駅員の制服生地の構成繊維と「極めて類似している」との鑑定結果が得られ、繊維鑑定からも私の無罪が推定されていた。
 
 今回の裁判について、副島隆彦氏との共著『売国者たちの末路 私たちは国家の暴力と闘う』に以下のように記述した。
 
 「私の裁判は現在、最高裁での上告審に移っていますが、こちらの主張を厳正に判断してくれれば、逆転無罪になる。ただ、私の場合は裏側に“政治”があると見ているので油断できないと思っています。」
 予想通り、政治がこのような不当判決をもたらしたと考える。
 
 事件の概要については、拙著『知られざる真実−勾留地にて−』巻末資料に記述したのでご参照賜れればありがたく思う。
 裁判所がどのような判断を示そうとも、真実はただ一つである。
 私は嘘を言わない。私は天に誓って無実潔白である。したがって、心には一点の曇りもない。
 このような不当判決に遭遇して、怒りは沸騰するが、これが残念ながら日本の現状である。
 
 幸い、多くの皆様が真実を見つめ、私の発する真実の声に真摯(しんし)に耳を傾けて下さっている。
 私を信じ、私の無実を確信して下さる方が多数存在する。
 この皆様方の心を支えとして、私は自信を持って、今後も進んで参りたいと思う。
 日本の命運を決する総選挙に向けて、微力ではあるが私もネットから全身全霊を込めて情報を発信している。
 そのタイミングでこのような不当判決が下されたことに対して、大変強い憤りを感じるが、いかなる弾圧に直面しても、節を屈せず、微力ながら一歩ずつ前進して参りたいと考えている。
 
 多くの心ある人々の力を結集して、政権交代をあらゆる障害を乗り越えて達成しなくてはならないと考えている。
 日本の警察・検察・司法制度の前近代性除去は、政権交代後の新政府の最重要課題のひとつになる。
 なにとぞ、今後とも温かいご支援とご指導を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
 

●公的年金の積立金の2008年度の市場運用実績が10兆円の損失となったことが26日、分かった。
 単年度の赤字は2年連続で、赤字幅は過去最大となった。08年9月の米証券リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)に端を発した金融危機による株価下落や円高が要因で、運用利回りもマイナス10%台に落ち込んだ。
 
 厚生労働省は「単年度の赤字で長期の年金給付にすぐ影響がでるわけではない」としているが、今後の年金制度のあり方にも影を落としそうだ。
 公的年金の積立金の運用は、厚労相からの委託を受けた「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が行っている。国民年金と厚生年金を合わせた積立金は約140兆円で、そのうち約90兆円を市場で運用している。
 運用割合は6割超が国内債券、2割が国内・外国株式、残る1割が外国債券となっている。
 
 08年度は、第1四半期(4〜6月)のみ1兆円の黒字を確保したが、以降は株価下落などの影響を受けて、赤字に転落。第2四半期(7〜9月)が4兆円、第3四半期(10〜12月)は5兆円と大幅赤字を記録していた。
 厚労省が今後100年の年金財政を検証した「財政検証」では積立金の運用利回りを4・1%に設定した上で、厚生年金の給付水準が「現役世代の収入の5割以上」を確保できるとしている。
 今回のマイナス10%は目標と大きく乖離(かいり)した結果となっており、このまま運用の低迷が続けば、厚労省の計算通り年金資金が確保できず、将来の給付カットにもつながりかねない。
 「現役世代の収入の5割以上」は政府・与党の公約でもあり、給付カットとなれば、年金不信がさらに深刻化する恐れもある。
 ただ、今年度に入ってから、株式市場は回復基調にあり、運用実績は改善しつつあるとの指摘もある。
 

●韓国の『第五共和国』 いわゆる『12・12事件』から『6・29宣言』までを再現したテレビ映画が日韓で大きな話題になっている。特に韓国のメヂアは外圧論難の渦中にあるといわれているが・・・・! 。
 テレビ映画『第五共和国』の製作者は次のような感想を雑誌で物語っている。・・・
 
 20数年前の政治的事件を再現し、歴史の流れを変えた秘事に光を当てることで、『第五共和国』は放映前から熱い関心を集めた。
『第五共和国』は、新軍部が政権の掌握をもくろみ、鄭昇和陸軍総長(当時)を連行した1979年12月12日事件から、盧泰愚前民正党代表最高委員が大統領直選制を受容する1987年6月29日宣言発表での、6年余りの歳月を描く。
 その間に発生した主要な政変は、当時の証言と史料などをもとに、リアルに演出される。
 すでに2005年2月には、ソウル光化門前で戦車と装甲車を動員し、12・12事態のシーンを撮影、4月には光州で5・18当事の状況を撮影した。
 
 5・18は4回に渡って描かれると製作チームは明かす。
しかし、現代史をドラマ化するだけに、多くの主人公が存命中であることや、歴史に関する評価において議論が起こることは必至で、視聴者の反応に注目が集まる。特に外部の圧力やクレームは“第五共和国”の放映開始後にもしばらく解決しがたい難問題として残ることが予想される。
 
 実際に、新軍部の人士17人が製作チームにシナリオの是正を要求した。
 MBC は、早期終了した月火ドラマ“英雄時代”が外圧にさらされただけに、“第五共和国”で再び騒動が起こることを懸念しているという。
 さらに加害者だけではなく被害者に対する描写も、ドラマが解決すべき課題として残っている。
 12・122事件、サムチョン教育隊、五・18関連の被害者をドラマ化するには、歴史的な評価作業が早急すぎたとの指摘である。
 
 過去の“共和国”シリーズの演出を担当したコ・ソクマンMBC 製作本部長は、「かつての“共和国”シリーズは、実在人物の外見に重きを置いて視聴者の関心を集めようとしたが、今回の“第五共和国”は正確な史実を伝えるのに焦点を合わせた」、
 「視聴率を稼ぐための誇張や、実際になかったエピソードを組み込むようなことは決してしない」と話している。
 
企画の意図は・・・
 『第五共和国』は、 事実(fact)だけを記録するドキュメンタリーでもなく、作家の想像力だけで作り上げる虚構(fiction)でもない。
  言うなれば、事実の効果を高めるために作家の想像力を加味した、ファクション(faction=fact+fiction)である。
  ファクションが成功するか否かは、詳細な事実の一致ではなく、歴史の脈略をどれだけ正当に描写するかにある。
 
 歴史の永遠なる物差しは、国民の意思であるべきだ。 なぜならば、我々の目指す永遠なる道標は国民主権であるからだ。
 では、なぜ第五共和国なのか。 一つの時代を終える出発点に、全斗煥と盧泰愚がいる。
 IMF以降、リストラが横行した2001年頃、巷では「全斗煥のようにやるべきだ」との声が、タクシー運転手を中心に広まった。
  タクシー運転手とは、民心の尺度である。彼らが“全斗煥の時代が暮らしやすかった”と言っているのだ。これは、理想と現実の乖離を物語っている。
 
 “自由とパン”では、大多数の国民が、自由よりも安全なパンを望んだのだ。だが大多数の国民が独裁を望んだことにはならない。
  全斗煥が不正な手段で政権をつかみ大統領になったのは、万人の知る事実だ。
 したがって彼は死刑宣告を受け、元大統領ながら2年以上収監され、罪の代償を支払った。
 だが彼の権力欲の犠牲となった人たちにとって、2年という歳月はあまりにも短かすぎたであろう。
 全斗煥新軍部は、軍部内の私的組織である「ハナ会」という派閥を中心に権力を握り、彼らだけの幸せを追求し、その過程で反対派に癒えぬ傷を与えた。
  したがって朴正熙に倣い、不当な権力に同調し、他人の不幸から目をそむけた者たちのみ幸せを謳歌する時代が、今なお続いているのだ。
 朴正熙、全斗煥、盧泰愚を経て成長した独裁残存勢力の力は、いまだに強大である。
 
 日本の統治から光復を迎え、李承晩政権が樹立した際、親日派の排除を目的とした反民族行為処罰法特別委員会を組織しても、政治的策略に押され親日派を清算し切れず、わが国の道徳が地に堕ち、いまだに親日派の子孫たちがこの社会の主流でいるのと大同小異である。
  しかし、今こそ全斗煥の時代を終える時だ。 なぜならば、この国に少数の幸せではなく多数が幸せになれる社会が作られるべきだから。
 個人と派閥の利益だけを考える一部の者たちに翻弄されることのない、希望ある国を夢見るべきだから。
 
 過去は未来の鏡である。過去は、いくら隠蔽したところで自動的に清算されるものではない。
 未来は過去と一体であり、現在を媒介に過去と深くつながっている。
 いくら我々が前へ進もうとしても、過去のもつれをきちんと解かねば、それはより複雑にからまるばかりで、全ての努力が水の泡となるだろう。
 
 もしくは、こうも言えるかもしれない。いたずらに古傷をほじくり返すことが、国民の和合のためになるのか、未来への課題が山積しているのに、いつまで過去の出来事に執着するのかと、叱りを受けるかもしれない。
 だが筆者は、こういった問題の提起は歴史のためにならぬばかりか、真の民主化を望む国民の意思を汲み取れない政治的不感症と、歴史的無知の産物だと考える。
 過去の政権の不当性や不正蓄財などの非理が自然治癒されることなど、決してあり得ないからである。
 
 問題は、一国の象徴である大統領が、“国民こそが歴史の主人公だと、気づくべき”なのだ。再度、私は誓いたい。罪は憎めど、人は憎むまいと。
  私は終始その心構えでドラマを書きあげたい。 また、若い世代が現代史を再考するいい機会になるだろうという、気負わぬ姿勢で[5共和国]をスタートさせたかったし、また、そんな心持でドラマの最後までお付き合いいただければと、願ってやまない。

■イ・ドクファ(全斗煥役)
保安司令官(第11,12代 大統領): 40代後半より60代前半(88年)まで
・ 1931年1月18日生まれ
・1963年 中央情報部 人事課長
・1963年 陸軍本部 人事参謀部
・1966年 第一空輸特戦団 副団長
・1967年 首都警備司令部 第30大隊長
・1969年 陸軍参謀総長室 主席副官
・1970年 第9師団 29連隊長(駐ベトナム白馬部隊)
・1971年 第1空輸特戦団 団長(准将)
・1973年 陸軍准将
・1976年 青瓦台警護室 次長補
・1977年 陸軍少将
・1978年 第1師団長
・1979年 戒厳司令部 合同捜査本部長、12.12事態で政権掌握
・1979〜1980年 国軍 保安司令官
・1980年 陸軍中将
・1980〜1980年 中央情報部 部長署理
・1980年 国家保衛立法会議 常任委員長
・1980年 陸軍大将
・1980〜1981年 第11代 大統領
・1981〜1988年 第12代 大統領
・1988〜1988年 国家元老諮問会議 議長

■キム・ヨンラン(李順子役)
全斗煥前大統領 令夫人:40代前半より 40代後半まで
・ 1939年 3月24日生まれ

■ソ・インソク(盧泰愚役)
第9師団長(少将):40代後半より 60代前半まで
・1932年 12月4日生まれ
・1956年 歩兵小隊長
・1960年 軍事情報大学 英語翻訳将校
・1961年 防諜部隊 情報将校
・1971年 歩兵連隊長
・1974年 空輸特戦旅団長
・1978年 大統領警護室 作戦次長補
・1979年 首都警備司令官
・1979年 第9師団長
・1980年 保安司令官
・1981年 予備役編入(大将)
・1981年 7月 政務2長官
・1982年 初代体育部 長官
・1982年 南北韓高位会談 首席代表
・1982年 内務部 長官
・1983〜1986年 ソウルオリンピック組織委員会(SLOOC)委員長
・1983年 ソウルアジア競技大会 組織委員会(SAGOC)委員長
・1984年 大韓体育会長 兼 大韓オリンピック委員会 委員長
・1985年 第12代 国会議員(全国 民正党)
・1985年 民正党 代表委員
・1987年 民正党 大統領候補
・1987〜1990年 民正党 総裁
・1987年 12月 第13代 大統領当選

■ソン・ソクスク( キム・オクスク役)
盧泰愚前大統領 令夫人:40代前半より 40代後半まで

■イ・ジヌ(ホ・ファピョン役)
保安司令官 秘書室長(大領)陸軍士官学校17期:40代前半より 50代中盤まで
・1937年 10月15日生まれ
・1975年 歩兵第9師団 大隊長、作戦参謀
・1979年 国軍保安司令官 秘書室長
・1980年 陸軍准将 予備役編入
・1980年 青瓦台秘書室 補佐官
・1982年 青瓦台秘書室 政務 第1首席秘書官
・1983年 米 ヘリテージ研究所 主席研究員
・1988年 現代社会研究所 所長
・1992年 第14代 国会議員(無所属 慶北 浦項)
・1996年 第15代 国会議員(無所属 慶北 浦項北)

■チャ・グァンス(ホ・サムス役)
保安司令部 人事処長(大領)陸軍士官学校17期:40代前半より 50代中盤まで
・1936年 9月18日生まれ
・1979年 保安司令部 人事処長
・1980年 国家保衛立法委員会 浄化分科委員会 幹事
・1980年 陸軍中将 予備役編入
・1980〜1982年 青瓦台秘書室 社政首席秘書官
・1982〜1987年 米 スタンフォード大学 フーバー研究所 研究員
・1987年 民正党 国策評価委員
・1990年 民自党 釜山東区 組織責
・1991年 韓国文化研究院 理事長
・1992年 第14代 国会議員(民自 釜山東)

■イ・ジェヨン(イ・ハクポン役)
保安司令部 捜査課長(中領)陸軍士官学校18期:40代前半より 50代中盤まで
・1938年 5月15日生まれ(釜山)
・1977年 保安司令部 捜査課長
・1980年 保安司令部 処長
・1980年 陸軍准将 予備役編入
・1980〜1986年 青瓦台秘書室 民政首席秘書官
・1986.01〜1988.04 安企部 第2次長
・1988年 民正党 国策調停委員会 常任委員
・1988.04〜1990 第13代 国会議員(民正 金海)
・1990〜1992.02 民自党 国会議員

■ホン・ハクピョ(チャン・セドン役)
首都警備司令部 30警備団長(大領)、陸軍士官学校16期:40代前半より 50代中盤まで
・1936年 9月27日生まれ
・1967年 首都警備司令部 30警備大隊 作戦将校
・1977年 同 30警備団長
・1980年 3空輸特戦旅団長
・1981〜1985年 大統領警護室長
・1984年 予備役編入(中将
・1985〜1987年 国家安全企画部長

■イ・ヒド(ホ・ムンド役)
駐日大使館 広報官:30代後半より 40代後半まで
・1940年 2月26日生まれ
・1964年 ソウル大学卒業
・1964年 朝鮮日報 記者
・1974年 朝鮮日報 東京特派員
・1979年 朝鮮日報 外信部 次長
・1979年 駐日大使館 広報官
・1980年 中央情報部 部長秘書室長
・1980年 国家保衛立法会議 文化広報分科委員
・1980年 大統領秘書室 政務第1秘書官
・1982.01〜1984.10 第7代 文化広報部次官
・1984〜1986.08 大統領秘書室 政務第1主席秘書官
・1986.08〜1988.02 第13代 国土統一院 長官

■チョン・ハンホン(クォン・ジョンダル役)
保安司令部 情報処長 陸軍士官学校15期:40代前半より 50代中盤まで
・1936年 6月14日生まれ
・1978年 保安部 大将
・1979年 保安司令部 情報処長
・1980年 国保委 内務分科 委員長
・1980年 国保委 立法会議 議員
・1980年 陸軍准将 予備役編入
・1981年 民正党 事務総長
・1981年 第11代 国会議員(民正 安東市義城安東)
・1982年 IPU 韓国議員団理事会 議長
・1985年 第12代 国会議員(民正 慶北 安東市 義城、安東)
・1985年 南北国会会談 首席代表
・1987年 民正党 国策調停委員長
・1992年 韓国産業銀行 理事長

■キム・ヒョンイル(金載圭役)
中央情報部長:50代中盤
・1926年 3月6日生まれ/1980年 5月24日 没
・1973年 第9代 国会議員
・1974年 第13代 建設部長官
・1976年 第8代 中央情報部長
・1979年 10月26日 朴正熙大統領 殺害
・1980年 5月24日 ソウル拘置所にて絞首刑

■チョン・ホグン(チャ・ジチョル役)
大統領(朴正熙)警護室長:40代中盤
・1934年 11月16日生まれ/1979年10月26日 没
・1963年 第6代 国会議員(共和 驪州 光州 利川)
・1967年 第7代 国会議員(共和 光州 利川)
・1971年 第8代 国会議員(共和 光州 利川)
・1973年 第9代 国会議員(共和 驪州 光州 利川)
・1974年 第3代 大統領警護室長
・1979年 10月26日 中央情報部長 金載圭によって殺害

■キム・ソンジュン(パク・フンジュ役)
中央情報部長 随行秘書(大領):40代前半
陸軍士官学校18期、当時40歳
1980年 3月6日 銃殺刑執行

■キム・ヒョク(パク・ソンホ役)
金載圭の、キムチョン中学校教諭時代の教え子。
・1973年 海兵隊 大領、ソウル保安部隊長
・1974年 中央情報部 総務課長(副理事官)
・1974年 9月 釜山支部 情報課長
・1975年 “釜山工作船 密輸事件”関連の盗聴事件で罷免
・1976年 12月 金載圭中央情報部長の就任後、サウジアラビアに派遣。
*現地の現代建設 労使紛糾が暴動化していた時、現地の調整官を務める。
・1978年 帰国 → 宮井洞 安家 儀典課長
・1979年 10月26日 朴正熙殺害事件により逮捕
・1980年 5月24日 絞首刑執行

■シム・ドンミ(シム・スボン役)
歌手/宮井洞での晩餐に同席

■イ・チャンファン(朴正熙役)
第5,6,7,8,9代 大統領(63年〜79年):60代前半
・1917年 11月14日生まれ/1979年 10月26日 没
・1937〜1940年 ムンギョン公立小学校 教諭
・1950年 陸軍本部 情報局 1課長
・1953年 陸軍准将 2軍団、3軍団 砲兵団長
・1954年 2軍団 砲兵司令官、砲兵学校校長 兼 砲兵監
・1955年 6師団長
・1957年 6軍団 副軍団長、7師団長
・1958年 陸軍准将、1軍団参謀長
・1959年 6管区 司令官
・1960年 軍需基地司令官、1管区司令官、陸軍本部 作戦参謀長、 2軍 副司令官
・1961年 5月16日 軍事革命主導、最高議会議長、陸軍中将、陸軍大将
・1963〜1979年 第5,6,7,8,9代 大統領

■イ・ジョンギル(金鐘泌役)
共和党総裁:50代前半より 60代中盤まで
・1926年 1月7日生まれ
・1948年 陸軍士官学校 任官(8期)
・1958年 陸軍本部 情報参謀部 企画課長
・1961〜1963年 初代 中央情報部長(現 国家情報院長)
・1963年 予備役編入(准将)、共和党 結党準備委員長
・1963年 6代 国会議員、共和党 議長職
・1967年 7代 国会議員当選(扶余 共和)
・1968年 反対勢力に押され、全ての公職より退く。
・1970年 共和党 総裁、 主席常任顧問
・1971〜1973年 共和党 副総裁
・1971年 8代 国会議員(扶余 共和)
・1971.06〜1975.12 国務総理
・1973年 9代 国会議員(維政会)
・1976年 韓日議員連盟 初代会長
・1979年 10代 国会議員(扶余舒川保寧 共和)
・1979年 共和党 総裁、5.16民族賞 総裁
・1980年 新軍部により政治活動の禁止、不正蓄財者として財産を還収される。
・1987年 新民主共和党 総裁、大統領選挙 出馬

■パク・インファン(鄭昇和役)
陸軍参謀総長(大将)、陸軍士官学校5期:50代中盤
・1926年2月27日生まれ/2002年 6月12日 没
・1947〜1848年 ソウル陸軍士官学校 5期
・1961〜1962年 第2軍 作戦参謀
・1962〜1963年 陸軍防諜部 隊長
・1964〜1965年 歩兵 第7師団 団長
・1967〜1969年 国防部 人事局 局長
・1969〜1970年 第1軍 参謀長
・1970〜1973年 陸軍本部 企画管理参謀部長
・1973〜1975年 第3軍団 団長
・1975.09〜1977.12 第24代 陸軍士官学校長
・1977〜1978年 第1軍司令官
・1978年 陸軍大将 昇進
・1979.02〜1979.12 第22代 陸軍参謀総長(大将)
・1987.11〜1988.04 統一民主党 顧問

■ヤン・ミギョン(陸英修役)
朴正熙前大統領 令夫人:死亡当時 40代後半
・1925年 11月29日生まれ/1974年 8月15日 没

■イム・ドンジン(金大中役)
イム・ドンジン
・1925年 12月3日生まれ
・1948〜1950年 モッポ日報 社長
・1951年 フングク海運 社長
・1957年10月 民主党 常任委員となり、政治入門。
・1960年 10月 民主党 企画委員 兼 代弁人
・1961年 第5代 民議員(民主 麟蹄)
・1963年 第6、1967年 第7代 国会議員
・1970年 新民党 大統領候補
・1971年 4月 第7代 大統領選挙 立候補
・1971〜1972年 第8代 国会議員(新民 全国)
・1976〜1978年 3.1民主救国宣言事件を主導したとして、拘束。(大統領緊急措置9号 違反嫌疑)
・1979年 3月 民主主義と民族統一のための国民連合 結成
・1983年 在米韓国人権問題研究所 創設
・1983年 米 ハーバード大学 国際問題研究所 客員研究員
・1985年 民主化推進協議会 共同議長
・1985年 新民党 常任顧問に推戴、当局によって就任が阻止される。
・1987年 統一民主党 常任顧問
・1987〜1991年 平和民主党 総裁
・1987年 平和民主党 大統領候補選出
・1987年 第13代 大統領選挙 立候補
・1988〜1992年 第13代 国会議員(平民 全国)
・1991年 新民主連合との統合で、新民党 結党、総裁に当選。

■キム・ヨンゴン(金泳三役)
新民党総裁:50代前半より 60代中盤まで
・1927年 12月20日生まれ
・1951年 張澤相国務総理の秘書官として、政治入門。
・1963〜1967年 第6代 国会議員
・1967〜1971年 第7代 国会議員
・1971〜1972年 第8代 国会議員
・1971年 韓国問題研究所 所長
・1973〜1979年 第9代 国会議員
・1974〜1976年 第5代 新民党 総裁、指導委員会 議長
・1979〜1980年 第10代 国会議員
・1979年 新民党 総裁
・1979年 総裁 職務執行停止 仮処分、議員職 除名
・1980年 政治活動 規制
・1980〜1981年 1次 家宅軟禁
・1981年 民主山岳会 結成、顧問
・1982〜1983年 2次 家宅軟禁、断食闘争(23日間)
・1985年 民族問題研究所 顧問
・1986〜1987年 新韓民主党 常任顧問、民主憲法争取国民運動本部 顧問
・1987年 統一民主党 結党、総裁
・1987年 第13代 大統領候補(統一民主党)
・1988〜1992年 第13代 国会議員(民主党 釜山西区)
・1990年 3党統合、民主自由党 代表最高議員
・1992年 第14代 大統領 当選

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