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理屈なし北方領土占領の ロシアの強硬かわらず (07月11日)(土)

 お祭り騒ぎの無意味なイタリアラクイラG8が閉幕した。 曇り 22−30度C
 午前中 原稿 午後 外出 18時 鶴岡市からボランティア友好団体が来訪 友好交流懇親会(文化センター・たつみ亭)
 

●モスクワ発 時事通信
 ロシアのメドべージェフ大統領は10日、イタリアで行われた主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)の終了に際しての記者会見で、北方領土問題については平和条約締結後に歯舞、色丹両島を日本側に引き渡す−と定めた「日ソ共同宣言」(1956年署名)を基礎として交渉する、との考えを示した。インタファクス通信が伝えた。
 
 ロシア側の立場がプーチン前政権時代から基本的に変わらないことを示したもので、9日の日露首脳会談で進展がなかったことを裏付ける形となった。
 メドべージェフ大統領は会見で、「ロシアは、1956年の宣言が唯一の法的根拠がある文書だと考えている。対話はこの文書に基づいて行われる必要がある」と述べた。
 
 北方領土について「わが国固有の領土」と初めて明記した改正北方領土問題解決促進特別措置法が日本の国会で成立したのを受け、露政界では対日感情が急速に悪化。領土交渉や日本と北方領土の住民の間で行われてきた「ビザなし交流」の停止を求める声明などが相次いでおり、10日も極東ユジノサハリンスクで日本の改正法に抗議する集会が開かれた。
 

●外務省条約局長などを務めた元同省幹部が10日、毎日新聞の取材に対し、1960年の日米安保改定交渉の際に合意した核搭載艦船の日本寄港を認める密約本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにした。
 寄港密約は60年1月6日に、当時の藤山愛一郎外相(岸信介内閣)とマッカーサー駐日大使が結んだもので、外務省の元担当幹部が密約管理の実態を詳細に証言したのは初めて。
 
 この幹部は密約については、米側で公開された公文書と同じものとしたうえで、英文で藤山、マッカーサー両氏の署名もあったと証言した。日本文も添付されていたという。
 63年4月4日に当時の大平正芳外相(池田勇人内閣)とライシャワー駐日大使が、米大使公邸で上記の密約本文を再確認し、大平外相が「持ち込みは核の搭載艦船の寄港・通過には適用されないことになる」と認めたことを示す日本側の会談記録も保管されていたという。
 
 さらに60年の日米安保改定交渉に外務省アメリカ局安全保障課長(当時)としてかかわった東郷文彦氏(後に外務事務次官、駐米大使)が密約の解釈や交渉経過などについて詳細にまとめた手書きの記録も残っていたとしている。
 その手書き記録は、当時の外務省の書式である2行書いては1行空ける方式で書かれ、青焼きコピーが繰り返されて見えにくくなっていたという。村田良平元外務事務次官の証言でわかった事務次官引き継ぎ用の日本語の文書も含まれている。
 これらの文書は外務省条約局(現国際法局)とアメリカ局(現北米局)で保管していた。
 
 この幹部は、北米局長、条約局長らの幹部はこれらの密約文書を把握していたと指摘。
 ただ、01年4月の情報公開法の施行に備えるため「当時の外務省幹部の指示で関連文書が破棄されたと聞いた」と証言している。
 

●石原慎太郎都知事が10日の記者会見で、麻生太郎首相を「打率の上がらないバッター」と酷評するなど、不満を爆発させた。不人気首相のとばっちりを受け、自民、公明の「知事与党」が過半数割れの危機に直面している。石原知事としては「後ろ盾」を失えば、厳しい都政運営を強いられるため、連日、自公候補の応援に走り回っているが、いっこうに風向きが変わらないのだ。
 
 まずは首相の解散戦略について、「国政の変なあおりを都議会が食うのは論外だ。衆院解散・総選挙を打つチャンスはいくつかあった」と恨み節をもらし、首相がクレー射撃の選手だったことを引き合いに出し、「彼だって射撃の選手だから、見送っているうちに的が飛んでいっちゃって、弾が届かなくなる」と言い放った。
 
 そのうえで、「総総分離ということになるんでしょうか。次の総裁、次の党のトップはこの人だという旗を掲げた方が、選挙は少しでもマイナスが少なくなる」といい、総裁選を前倒しして、首相とは別に新総裁を立てて総選挙に臨むべきとの局面打開策を示した。
 
 また、衆院東京1区選出の与謝野馨財務相の名前をあげ、「相対的に評価している。非常に政策通で、いいんじゃないか」と、暗に、与謝野総理誕生に期待感をにじませた。
 都議選で自公が過半数割れした場合の、都政運営への影響を問われたところ、「そんなこと聞いたって分かんないよ。神様じゃないんだから。」

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