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彦根城紅葉深く急坂を 昇りて天守ひと息をつく (11月11日)(水)

 朝から大雨である。8時30分 トーヨー 8時45分 区へ 9時30分 篠崎第二小の監査 13時15分
 大杉東小の監査 12−17度C
 

●千葉県市川市のマンションで平成19年3月、英国人の英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が他殺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者(30)がおもちゃの拳銃を所持していたことが11日、千葉県警行徳署捜査本部の調べで分かった。
 捜査本部は同日午前から市橋容疑者の本格的な取り調べを開始する。
 
 捜査本部によると、ピストルのおもちゃは、セカンドバッグの中に入っていた。
 逮捕時の市橋容疑者は、グレーのスエットとジーンズ姿で、ニット帽を被っていた。
 サングラスはしていたが、ヒゲなどは生やしておらず、髪の毛の長さも5日に公開された写真と比べて変化はなかったという。
 
 市橋容疑者は、10日午後6時45分ごろ、大阪市住之江区の南港フェリー乗り場で身柄を確保されているが、待合室でいすに横になるような格好で寝込んでいたという。「かなり疲れていたということだろう」(捜査幹部)。
 逮捕後は捜査員らの問いかけにもほとんど答えず、大阪から行徳署へ移送される間も終始うつむいていたという。
 
 捜査本部は事件発生時から約140人の体制を維持し捜査。先月まで潜伏していたことが分かっていた大阪府には逮捕時に60人近くの捜査員を派遣していたという。
 市橋容疑者はこれまでに複数回の整形手術を行っていたとみられており、捜査本部は11日からの調べで、手術代の捻出(ねんしゅつ)方法やこれまでの逃走経路などを追及していく方針だという。
 

●「怪しい」と感じた社員が社内ですぐに声掛けしたことが奏功した。千葉県の英国人女性死体遺棄事件で、死体遺棄の疑いで逮捕された市橋達也容疑者(30)。
 110番をしたフェリー会社が11日、通報に至った経緯を詳しく説明した。
 
 「マルエーフェリー」によると、市橋容疑者とみられる男は10日午後1時40分ごろ、神戸市東灘区の神戸営業所に現れた。
 グレーのニット帽をかぶり、サングラス姿。タクシーを降り「沖縄行きの船はないんですか」と尋ねた。猫背で、ぼそぼそと聞き取れないくらいの小さい声だった。
 社員は大阪南港からの出港であることを説明。「鼻に傷もあるし、ちょっと似てるかもしれない」。情報は即座に大阪支店に伝えられた。
 
 大阪市住之江区の大阪南港フェリーターミナル。通常の乗船受付時間は午後6時半からだが、神戸営業所からの連絡があったため社員が早めの午後5時半ごろ、待合室を見回ったところ市橋容疑者とみられる男がいすに座って本を読んでいた。
 社員は受け付け時に詳しく確認することにしたが、午後6時20分ごろに受け付けが終わったのに男が来ない。
 午後6時半すぎに待合室に行くと寝ている様子だったので近づいてみた。「雰囲気的に怪しい」。午後6時44分に110番された。
 神戸営業所の所長代理は「対応した社員が機転を利かせてくれた」と振り返った。
 

●2007年、千葉県市川市で英国人女性、リンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が遺体となって発見された事件で、死体遺棄容疑で指名手配中の市橋達也容疑者(30)の母親が夕刊フジの取材に応じ、悲痛な胸の内を明かした。
 市橋容疑者は整形手術で顔を変え、偽名で大阪府茨木市の建設会社の寮に住み込み作業員として働いていたが、元歯科医の母親は「事件後、何の連絡もない」と逃走資金などの援助を全面否定。死んだと思っていた息子に複雑な親心をのぞかせつつも、出頭を呼びかけた。
 
 岐阜県羽島市。閑静な住宅街に立つ一軒家に、市橋容疑者の両親は現在も暮らしている。事件から2年半。両親はメディアに沈黙を守り続けていたが、先月、市橋容疑者が福岡市や名古屋市で整形手術を受けていたことが発覚。9日には茨木市で働いていたことも明らかになり、ついに母親が重い口を開いた。
 
 −−逃走資金を提供したことはないのか
 「資金提供なんてあるわけない。(整形の費用などを)どこから手に入れたのか、こちらが聞きたいくらい。私は嘘はつけません。事件後、あの子からは何の連絡もありません。本当に死んでいると思っていました」
 
 −−なぜ死んでいると
 「ホームレスになっている、とも言われたけれど、あの子がそんな生活ができるとは思えなかった。お風呂も入れず、食べ物も拾って食べるような状況になるくらいなら、死を選ぶと思っていた。そんな生活力がある子じゃなかった」
 
 −−自殺した、と
 「はい。もうあきらめていましたから。今回の報道も、始めは信じられませんでした」
 
 −−連絡があればどうする
 「もちろん、私が警察に引き渡します。連れて行けなかったら、あの子に隠れてでも警察に電話するつもりです」
 
 −−整形した顔を見てどう思った
 「ただただ、ショック。そんなことをしてまで逃げるのかと思うと…。ただ、写真を見てすぐ達也だと思いました。目元でわかりました」
 
 −−整形しても分かった?
 「むしろ整形前の手配写真のほうがイメージと違っている。こんなつり上がった目をするのは怒った時だけ。普段はもっと明るい表情をしていました。素顔は整形後の写真のほうが近いんです。でも、これは本当に本人なんでしょうか?」
 
 −−というと?
 「だって、こんなにすっきりした顔をしているじゃないですか。逃亡犯の顔じゃない。2年半も逃げ回って、こんな穏やかな表情ができるでしょうか?」
 
 −−なぜ2年半、出頭を呼びかけなかったのか
 「逆効果になると思いました。逆に反発して、こちらに連絡を寄こさないのではないかと思ったんです。遺族の方から何度も要請がありましたが、こちらの考えをお伝えて納得していただきました」
 
 −−愛知県内の病院で外科部長をしていた父親はどうしているのか。事件後に退職し、一時は重病説や自殺説まで出たが
 「ずっと自宅にいます。私は主人がいるから生きていけている。私は生意気な人間ですけど、主人はマジメな人なんです。あの子の教育をしたのは私。あの子がもし悪いことをしたなら、それは私のせいです」
 
 −−どんな子供だったのか
 「口には出しませんでしたが、医者をやってくれれば、とは思っていました。でも、それを強制したことはありません。あの子は神経が細く、絵を見たり描いたりすることが好きでした。医者の仕事に耐えられるとは思っていませんでした」
 
 −−世間では過保護だとの批判もある
 「言われているように、ぜいたくな暮らしはさせていません。身分不相応な仕送りだってしていません」
 
 −−父親との関係は
 「私には逆らうことがあったけれど、主人に逆らうことはなかった。父親のことは尊敬していたと思います。主人が陸上をやっていたので、高校では陸上部に入っていましたし」
 
 −−西洋人女性には興味を持っていたのか
 「テレビで女優さんを見て『キレイだね』と言うことはありました。外国映画は好きでよく見ていたとは思います。でも、特別執着している様子はありませんでした」
 
 −−毎年帰省していたそうだが、最後に会ったのは?
 「事件前の2007年2月に電話で話したのが最後の会話です。その年の正月には実家に帰ってきませんでした。マンションには、事件後に片づけに行ったのが初めてでした」
 
 −−女装趣味があったとか、同性愛者だったとの報道もある
 「まるっきりウソだと思っています。いたって普通の子でした」
 
 −−性格は
 「私にとっては、いい子でした。ただ、筋を通したがる性格でした。何かおかしいとか、裏切られたりするようなことがあると、感情を抑えられなくなることはありました」
 
 −−いま、市橋容疑者に言いたいことは
 「本当にやったのなら、出てきて罪を償ってほしい。きちんと真実を明らかにしてほしい」
 
 −−いま、どんな気持ちですか
 「達也は本当に卑怯だと思います。死刑になってもおかしくない。腹立たしい。でも…、いけないことだとは思うんです、遺族に申し訳ないとは思うんですけど…。母親として、死んでいなかったんだという思いもある。気持ちが揺れ動いて、なんと表現していいのかわからないんです」

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