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長崎の知事選民主雪崩うち 大敗喫しうめき聞こゆる (02月21日)(日)

 冷気の中の曇り 4−11度C 8時 案件があって加瀬山氏が来訪懇談 9時30分 大宅氏が案件があって来訪要談  12時30分 江戸川区福祉ボランティア団体協議会主催の「ボランティア講演会」に出席した。(区内・小松川さくらホール)  14時 小久保、大和、熊谷、栗田氏らに集まって貰って会合・要談(区内) 夜は「日経ビジネス」「ダイアモンド」「東洋経済」を読む。
 

●東京都江戸川区の小学1年、岡本海渡(かいと)君(7)が両親から虐待を受けた後に死亡した事件で、継父の電気工、健二被告(31)=傷害罪で起訴=が2年以上前から「しつけ」と称し暴行を加えていたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。
 熱くなったライターの金属部分を背中に押し付けられるなど、虐待の詳細も判明した。捜査関係者によると、両親は反省の言葉をほとんど口にしていないという。長期間の虐待に耐えた海渡君の孤独な姿が改めて浮かぶ。
 
 事件から間もなく1カ月。海渡君の自宅アパートの階段には、花束やプレゼントが置かれている。こんなコメントが添えられていた。
 《おかもとかいとくんへ きみのことはわすれない》
 「海渡君に顔の傷を尋ねたら『大丈夫、大丈夫』と答えた。今思えば、虐待を疑わなければならないいろいろなサインがあったかもしれない。それに気づいてやれなかった」。近所の30代の男性は悔しそうな表情を浮かべた。
 
 捜査関係者によると、健二被告は2〜3年前から、海渡君の実母の千草被告(22)=同=と同棲(どうせい)。海渡君は千葉県内の千草被告の実家に預けられていたが、昨年4月ごろから3人暮らしが始まった。
 ただ、それ以前から海渡君はたまに会う健二被告にたたかれていたという。
 昨夏からは子供の泣き叫ぶ声、「ドスン」という大きな物音を近隣住民が耳にするようになった。孫の手や木の棒でたたくこともあったといい、このころから暴行がエスカレートしたとみられる。
 
 遺体の背中には長方形のような形をしたやけどの跡が5カ所ほどあった。
 千草被告は「健二(被告)が熱くなったライターの金属部分を押し付けていた」と供述したが、健二被告は「押し付けていない」と否認、複雑な家庭環境で育った自身の幼少期を引き合いに、「自分も子供のころたたかれて育った。まっとうに育てたかった」と説明した。
 だが、捜査幹部は「2人がすべてを正直に話しているとは思えない」とみる。
 
 海渡君が昨年9月4日、歯科医に虐待を訴えたことがきっかけとなり、海渡君が通う区立松本小学校と、区子ども家庭支援センターは虐待の恐れがあることを把握した。しかし、健二被告の「二度と殴らない。男の約束だ」という言葉に引き下がった。海渡君のSOSは届かなかった。
 
 そのわずか1カ月後の10月16日、海渡君は都立墨東病院に入院。診断は「急性硬膜下血腫」だった。千草被告は病院に「夫と遊んでいて、抱きかかえたときに誤って頭から落ちた」と説明。
 だが、学校には「自転車で転んだことが影響しているかもしれない」と矛盾する説明をしていた。
 一方の墨東病院は「頭」のけがを理由に、体の傷を確認しなかった。
 病院は「親の言動に不審なところを感じず、警察にも通報しなかった」と説明する。学校側も病気と認識し、虐待を疑わなかった。
 
 両被告は昨年11月に学校を訪問。副校長が家庭訪問の際に海渡君に「(今日食べたのは)カップめんかな?」と聞いたことについて苦情を訴えていた。
 同12月には「こんな学校には行かせられない」と伝えてきた。
 クレームにより、学校側が虐待を疑うことに二の足を踏んでいた可能性も指摘されている。
 
 「学校だけでなく病院も虐待を把握できたはずだ。親は虐待を隠すためクレームなどで防衛的な態度を取りがちだ。子供のためにしっかり状況を聴くなど毅然(きぜん)とした態度を取るべきだった」。
 児童虐待に詳しい東海学院大学人間関係学部の長谷川博一教授(臨床心理学)は学校や病院の対応を疑問視する。
 

●民主党の小沢一郎幹事長が4月下旬からの大型連休中に訪米した場合、オバマ米大統領は会談に応じるだろうかー。ワシントンに駐在していたときに取材したブッシュ前政権時代のホワイトハウス元当局者2人に意見を聞いてみたところ、正反対の答えが返ってきた。
 
 「鳩山政権におけるミスター・オザワの役割の重要性を米政府もよく認識している。1対1の会談ではないとしても、何らかの方法でオバマ大統領は面会するのではないか」
 
 日本の政治情勢にも詳しいある元当局者はこう予測した。
国家元首である米大統領の面会相手は、基本的には大統領や首相であるが、政治的に重要と判断すればそれ以外の実力者に会うこともある。
 オバマ政権は発足当初から小沢氏を重視してきた。昨年2月、就任まもないクリントン国務長官は初の外遊先として日本を訪れた際、日程をやりくりしても当時野党民主党の代表だった小沢氏と会談している。
 
 日米間では現在、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題が懸案となっている。鳩山由紀夫首相は5月末までに結論を出すと明言している。小沢氏は訪米したとしても「政策的な議論は政府がやることだ。友好親善が目的」と述べているが、米側としては普天間問題解決のため小沢氏の「剛腕」に期待し、大統領との面会実現で恩を売ることも考えられるというわけだ。
 
 これに対して、日本の今日の政治情勢に興味があるという別の元当局者は「オバマ大統領がオザワさんに会うとは考えられない」と言い切った。この元当局者はその理由として、「オザワさん自身は(資金管理団体による土地購入をめぐる事件で)不起訴になったが、彼の秘書らは3人も起訴された。ホワイトハウスは日本の政局に巻き込まれる恐れがあることをするのを嫌がるだろう。
 オザワ一行は議会関係者との面会ということになるのではないか」と説明した。
 
 小沢氏は昨年12月、143人もの国会議員を含む、総勢600人超を引き連れて中国を訪問した。胡錦濤国家主席は全員と記念撮影や、国会議員の大半とのツーショット撮影にも応じた。
 もっとも、記念写真の場面や小沢氏の発言は中国では一切報じられなかったという。
 
  こうした報道統制は中国では可能でも、米国では不可能だ。「仮にオバマ大統領が大型訪問団とのツーショット撮影に応じたら、米メディアの格好の餌食になるだろう」と、会談の可能性を否定したこの元当局者は語る。
 小沢氏は8日の党役員会で「中国に行ったとき胡主席にお出迎えいただいた。オバマ大統領もちゃんとやってくれるだろう」と期待感を示した。
 
 ただ、14日になると「むこう(米側)から『ぜひおいでいただきたい』ということであり、私が行きたいと頼んだわけではない。別に私がオバマ大統領と会談したいと言ったわけでもない。米側もそれなりの歓迎をしてもらいたいという意味だ」(福岡県久留米市での発言)とトーンダウンした。
 
 中国での胡主席とのツーショットも小沢氏サイドの強い希望で実現したと聞く。異なる見通しを示した元当局者だが、2人ともに「オバマ大統領とのツーショットをねだることだけは、今後の日米関係のためにもしてほしくない」と望んでいた。同感である。以上産経新聞より・・。
 

 
●ワシントン発 時事通信
 レーガン米政権で国務長官を務めたアレグザンダー・ヘイグ氏が20日、米メリーランド州の病院で死去した。
 85歳だった。オバマ米大統領は声明を発表し、「生涯を公務にささげた最良の軍人であり外交官だった」と、業績をたたえた。
 
 ヘイグ氏は1924年、東部フィラデルフィアで生まれ、10歳で父親と死別した。
 家庭には父親の生命保険金5千ドルしか残らず、困窮を味わったという。
 陸軍士官学校卒業後、日本で朝鮮戦争の指揮を執るマッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)の参謀に就任、ベトナム戦争にも従軍した。
 
 69年、ニクソン政権でキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)の軍事顧問を務め注目された。ウォーターゲート事件の最中に大統領首席補佐官に就任すると、大統領に辞職を勧める一方で事態収束に全力を挙げ、「(ニクソン大統領後の)第37・5代大統領」(米紙ワシントン・ポスト)などと評された。
 フォード政権で首席補佐官、北大西洋条約機構(NATO)の欧州連合軍最高司令官も務める。退官直前、自身が乗る高級車ベンツが走るベルギー国内の橋が爆破され、辛くも生還するなど、たたき上げの軍人にふさわしいエピソードも持つ。
 
 81年にレーガン政権の国務長官に就任し、大統領が暗殺未遂事件で倒れた際には「副大統領の帰りを待つ間、私がホワイトハウスを指揮する」と述べ、国家の非常事態時に権力欲を表したとして批判を浴びた。
 
 82年に辞任した後、88年に共和党の大統領候補の指名争いに名を連ねたが、「自信過剰の風貌」(ロイター通信)に有権者から背を向けられ撤退。
 それでも、築き上げられた功績は疑うべくもなく、シュルツ元国務長官は「愛国者の中の愛国者」と賛辞を贈った。

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