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中国の国防費一〇年増大の 世界第二の軍事大国へ (03月04日)(木)

 くらい曇りである。 6−15度C 午前中 案件があって来客多し。 午後 外出 買い物 17時30分 臼井歯科 18時30分 國際文化振興ボランティア連盟基金の会合(千代田区内) S・S・モンテフィオリー「スターリン」を読む。
 
●毎日新聞の朝刊記事から・・・・
 日本政府は3日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、キャンプ・シュワブ(同県名護市)陸上部への移設案を軸に、米側や沖縄県など関係自治体と調整に入る方針を固めたようだ。
 滑走路の長さは500メートルと1500メートルの2案を検討。
 500メートルの場合は現行計画より大幅な縮小となるため、普天間飛行場で実施されている訓練について、徳之島(鹿児島県)、馬毛島(同)など沖縄県外の分散移転先を模索する。
 
 シュワブ陸上案は自公政権下の05年に防衛省を中心に検討されたことがあるが、集落に近いため騒音問題や工事に伴う赤土流出の懸念などから、米側や地元の反対でまとまらず、現行計画のシュワブ沿岸部(名護市辺野古)移設案で決着した経緯があり、今回も米側の理解が得られる見通しは立っていない。
 
 さらに米側との協議次第では、日本側は普天間飛行場を移設完了に伴い閉鎖した後も、有事に米軍と自衛隊が共同使用するなどの提案をすることも視野に入れている。
 移設候補地を検討してきた政府・与党の沖縄基地問題検討委員会は、社民、国民新両党の委員から近く移設候補地の提案を受ける予定。
 しかし、委員長を務める平野博文官房長官は3日の記者会見で、検討委の開催には消極的な考えを示す一方で、「早く候補を決定するプロセスに入っていきたい」と述べ、政府案とりまとめに向けた水面下の調整を本格化させる意向を明らかにした。
 
 社民党は、3日までに党幹部が政府高官に対し「あくまでグアム、国外移転を目指しつつ、暫定的措置として国内の自衛隊基地などへの移設も認める」との考えを非公式に伝達。 国民新党も同日、シュワブ陸上案と米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)などとする提案内容を正式決定した。
 

●前原誠司国土交通相、仙谷由人国家戦略担当相、原口一博総務相の3閣僚が3日午前の参院予算委員会に遅刻し、開会が約15分遅れるハプニングがあった。
 3大臣が一斉に遅刻するのは極めて異例だが、原口氏にいたっては遅刻中に会員制登録サイト「ツイッター」に書き込みを行っていたことも判明。
 2010年度予算案が2日に衆院通過し、年度内成立が確定しただけに、鳩山政権の気の緩みを指摘する声が出ている。
 
 予算委員会は通例、午前9時に開会されるが、参院審議初日のこの日は、冒頭に菅直人副総理兼財務相が予算案の趣旨説明を行うため、午前8時50分開会となっていた。
 鳩山由紀夫首相は着席していたが、閣僚がそろっておらず、自民党の舛添要一同委理事ら野党側は「来ていないのはだれだ。参院をなめているのか」と猛反発、簗瀬進委員長に抗議した。
 
 遅刻の理由は「大臣レクチャーが長引き、部屋を出るのが遅れた」(国交省筋)、「趣旨説明後の午前9時の出席と思っていた」(仙谷氏周辺)など。
 原口氏も9時出席と勘違いし、「ツイッター」に同8時52分に書き込みをしていた。
 結局、急きょ理事会を開催し、平野博文官房長官と3閣僚が陳謝することで事態収拾を確認。午前9時5分に開会すると、簗瀬委員長は「遅れた方がいたのは遺憾だ」と不快感を表明し、平野博文官房長官に続き、3閣僚は「遅刻をしたことを心からおわび申し上げます」などと頭を下げたが、前原氏は半笑いだった。
 
 生中継を予定していたNHKの放送も開始が遅れ、カニや熱帯魚の映像が流れた。質問に立った自民党の林芳正氏は「連絡の不行き届きだったのなら危機管理の問題。鳩山内閣を象徴する話だ」と、厳しく非難した。
 複数の閣僚の遅刻による委員会開始遅れは「前代未聞だと思われる」(参院職員)異例の事態。
 閣僚秘書官経験者は「委員会日程は前日までに確定し、公報で全議員に配られている。さらに大臣日程は秘書官、SP、運転手、省幹部がついてサポートして管理している。同時に3大臣が連絡の不行き届きで遅刻するなんて、120%ありえない」と呆れ顔で話す。
 
 鳩山内閣では、長妻昭厚労相が就任早々の昨年9月、朝の閣議に約5分間遅刻。仙谷氏は「バッジを忘れた」などの理由で委員会に数分遅刻することが複数回あり、「遅刻の常習犯」(内閣府関係者)と危険視されていた。
 今回の異例の失態に、ハマコーこと浜田幸一元衆院議員は「遅刻??? おれは悲しい。解散しろ!! すぐに」とツイッターでつぶやいた。
 

●韓国の朝鮮日報の記事から・・・・
 上を向いて歩こう、涙がこぼれないように−。坂本九の『上を向いて歩こう』の歌詞はそう始まる。1963年に米国で「スキヤキ」という異色の曲名でビルボード誌で3週連続1位を記録し、その後ボブ・ディランが英語でカバーした名曲だ。「思い出す春の日、一人ぼっちの夜」という歌詞からは、敗北者としての日本が抑うつ状態で人生を嘆くもので、今でも心に響く。
 
 バンクーバー冬季五輪のフィギュアスケート競技が行われた26日、東京都心のテレビの前に集まった数百人の群衆の中に身を置いてみた。日本での反応を肌で感じたかったからだ。記者はその冷ややかさに驚いた。浅田真央の演技が終わり、競技結果が確定しても、銀メダルを祝福する拍手は全くなかった。群衆は沈黙したまま立ち去っていった。しかし、その冷ややかな雰囲気を一変させたのは浅田がそれまで我慢してきた涙だった。「本当に長かったというか、あっという間でした」という浅田の言葉からは、さまざまな欲望を抱きながら瞬間瞬間を送ってきた人生が感じ取れ、胸が高ぶる思いだった。韓国の一部で問題になった「悔しい」という言葉は、相手と自分の壁を超えられなかった悔しさを意味するものと受け取るべきだろう。
 
 銀メダルに対する日本社会の賞賛が始まった。首相や閣僚は「ヨナも真央もよくやった」と励まし、老若男女から応援ファクスがマスコミに数百通も殺到した。結果が反対だったならば、韓国もそんな反応だったかもしれない。金メダルでなければ敗北者扱いする軽薄な「1等主義」よりもオリンピック精神にかなっており美しい。
 
 日本の涙は初めてではない。浅田の涙がオリンピックが涙の競演を締めくくったといっても過言ではないのではなかろうか。銅メダル(フィギュアスケート男子)を取ったと泣き、4位入賞(モーグル女子)したと泣き、8位(カーリング女子)だったと涙した。競技中にシューズのひもがほどけた(フィギュアスケート男子)といってはまた泣いた。涙さえ流せば、国民が「金メダルだけがメダルじゃない。入賞しただけで大したものだ」と慰める。ならば「これではいつ金メダルが取れるのか」とさえ思えるほど、日本は気質が弱々しい。
 
 日本人は感情をうまくコントロールするといわれる。実際に見ていると、火に火で対応しない姿勢は優れている。だが、涙だけはそうではないようだ。以前は涙は甲子園の高校球児の専売特許だったが、最近はソフトボールから駅伝まで、男女を問わずに涙を流す。負けたら「悔しい」と泣き、勝ったら「やったあ」と泣く。
 
 日本は社会全体がしばしば涙を通して互いを慰め合い、そして結束する。最近もトヨタ自動車の社長が涙を流した。公聴会ではなく、社内集会で涙をこらえられなかったことは、あまりに象徴的で日本的な場面だった。そんなトヨタを励ます日本のメディアも同様だ。
 
 今の日本に必要なのは激励よりは反省と分析ではなかろうか。浅田はライバルの演技を無視したキム・ヨナの度量から学ばなければならない。しかし、感じられるのは涙に対する激励と慰労だけだ。皮肉を言っているわけではない。浅田がいなければ、キム・ヨナの金メダルもこれほど輝かしくはなかったはずだ。トヨタがいたからこそ、現代もここまでやってきたのだ。韓国は厳しいライバル日本がこれからも必要だ。 東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

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