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普天間の解決泥沼複雑に 怒号飛び交う姿の哀れ (05月01日)(土)

早くも皐月となる。快晴絶好の行楽日和で渋滞が始まっているらしい。小生には関心がない。 15−20度C
 午前中早朝から身辺の整理 拙歌集「呑舟之魚」の贈呈先名簿を作る  13時 外出 有楽町 新小岩で買い物 18時 妹の順子夫婦が来て夕食 夜は太宰治「ヴィヨンの妻」を読む 雑誌「正論」 週刊誌「週刊新潮」「週刊文春」「週刊ポスト」「週刊現代」をまとめて遅くまで読む。
 

●「世界のSEIKO」で、社長解任劇が起きた。4月30日、東証1部上場のセイコーホールディングス(HD)は、村野晃一会長兼社長(72)を解任し、創業家の服部真二副社長(57)が同日付で社長に昇格したと発表した。
 一見、創業家復権のクーデターのようだが、実はグループの陰の最高権力者、服部礼次郎名誉会長(89)と「女帝」と呼ばれる役員の追い落としが解任劇の真相だ。服部礼次郎さんは、小生も國際ロータリーのガバナー時代から、昔から面識がある。
 
 30日開催のセイコーHD取締役会で、村野氏の緊急解任動議が発動され、役員の過半数が賛同し、解任が決まった。村野氏は取締役として残るが、6月の株主総会で退任。後任社長には服部副社長が昇格した。
 記者会見した服部新社長は「ここ数年、村野氏は名誉会長の服部礼次郎氏とその腹心にただただ服従している言動が続き、合理的な経営の判断に支障をきたした」と説明した。
 
 同社は、1881(明治14)年に、服部金太郎氏が創業した服部時計店がルーツだ。
 1974年に社長に就任した服部礼次郎氏は、社長、会長退任後も名誉会長として、大きな影響力を持ってきた。
 総務畑出身の村野氏は、「名誉会長の番頭役ともいうべき役割」(業界ジャーナリスト)を果たしてきた。
 
 そして、服部新社長が会見で「礼次郎氏の腹心」と表現したのは、鵜浦典子取締役(53)だ。
 セイコーHD子会社で、銀座を象徴する、あの高級百貨店「和光」(東京・銀座)出身。
 和光の社長兼会長でもある礼次郎氏の秘書を務め、専務にまで上り詰め、その後、親会社のセイコーHDの取締役に就任。
 礼次郎氏からの寵愛によって「女帝」とも呼ばれる。
 
 現在、和光は債務超過に陥っているが、その原因が、和光の周辺にある銀座の一等地への過剰な不動産投資で、鵜浦氏が取り仕切った。
 この投資によって、セイコーHDの有利子負債が拡大し、2009年3月期決算で最終赤字に転落した。
 昨年6月の株主総会では、株主から一連の不動産取引に対する質問や、鵜浦氏への非難が集中し、紛糾する場面もあった。また、鵜浦氏に対してはパワーハラスメントなどで人権侵害したとして、セイコーが加盟する全日本金属情報機器労働組合が団体交渉を突きつけたこともある。
 
 今回の解任劇は、礼次郎氏のおいで、養子となっている服部真二新社長らが、礼次郎氏と鵜浦氏を追い落とす意味合いが強い。
 礼次郎氏はセイコーHDの名誉会長にとどまるが、和光の社長兼会長など、グループの一切の役職から退く。鵜浦氏も6月株主総会のタイミングでグループすべての職を解任されるもようだ。
 村野氏については「礼次郎氏と真二新社長との間で板挟みの状況になっていたが、結果的には、礼次郎一派と見なされ、解任された」(業界ジャーナリスト)というのが真相のようだ。
 
 今回、真二新社長らによる、クーデターは一応の成功をみせた。
 しかし、礼次郎氏は、個人名義で同社株式の10・8%を保有(09年10月1日現在)する大株主。このまま、経営再建が順調に進むには、障害は多そうだ。
 

●5月に長崎出版から拙著「地球かみどり」が上梓される。小生が書いた「あとがき」だけを抜粋してみると・・・・。
 
 『あとがき』
『月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり、舟のうえに生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかえるものは、日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり・・。』(奥の細道)という。
 私もすでに古希を過ぎて、これまでさまざまな旅をしたが、それらの記憶を振り返ると私なりにささやかな感慨をもよおす。
 いづれにしても、人生はあっという間に過ぎ去って行くまことに儚いものである。
 
 『往く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。・・・・。朝に死に、夕べに生まるるならい、ただ水のあわれにぞ似たりける。・・』(方丈記)である。
目を閉じるとすぐに、例えば東西の十字路イスタンブールのモスクの尖った屋根に紅い西陽が沈む夕景、ロンドンのソーホーの小雨の裏通りの物売りの老婆の笑顔、パリのカラカラと音のするプラタナスの枯葉を踏んで歩む石畳などなど、さまざまな光景が無数に去来する。
 
 アーネスト・ヘミングウエイがパリにいたのは、一九二〇年代であった。ヘミングウエイは彼の最晩年の作品、一九二〇年代の自分自身の青春時代を描いた小説風のエッセイ集『移動祝祭日』(一九六〇年)の扉に『もしきみが、幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、パリはついて回る。なぜならパリは移動祝祭日だからだ』と書いている。
 私がパリにいたのは、二十五歳で、一九六〇年代だったが、当時、日本のGDPはデンマーク並みで、日本はアジアの貧しい島国だったし、私には東京に較べるとパリは食べものも旨いし、便利だし、女性も沢山いて、天国のように感じられた。 
 その後日本社会は急成長して、経済大国と言われたが、五〇年経った今、中国に抜かれて世界二位から三位に転落しようとして話題になっている。
 地球は広くてその生きざまはさまざまであるが、要するに『百聞は一見に如かず』であり、現場に行ってみないと、どうにもならないと分かった。
 気がついたら、私も死が間近かに迫って来た歳になった。今後も健康なうちは地球をじかに手で触って見て行きたいと考える。
 
 本著は主としてこれまで、月刊『カレント』誌、季刊誌『DO―UP』、山形県の『荘内日報』紙などに掲載された原稿に加筆、修正を加えたものである。
 
 本著の上梓にあたっては、長崎出版の辻晋泰社長及び編集部の中嶋麻喜さんに大変お世話になった。また盟友藤原佑好氏には、企画、編集について一方ならぬお世話になり、併せて心からの感謝と敬意を表したい。
 
          平成二二年四月一日
                     小久保 晴行
 

●元横綱・朝青龍(29)の電撃訪朝が波紋を広げているという。
 朝青龍は北朝鮮に忠誠を尽くすかのように金日成バッジを礼儀正しく装着。
 訪朝の目的について、モンゴル政界進出への布石との見方がある一方で、「アントニオ猪木氏に近い人物から招きがあった。
 平壌でプロレスをやるつもりではないか」という仰天情報も流れている。
 
 朝青龍の電撃訪朝は、朝鮮中央通信が22日に配信した写真がマスコミに知れわったった。
 平壌の万寿台議事堂で撮影されたモンゴル外交団の記念写真で、朝青龍は北のナンバー2、金永南・最高人民会議常任委員長の真後ろというベストポジションをキープしている。
 
 「注目すべきは朝青龍の左胸に付けられたバッジ。朝鮮労働党旗に金日成主席の肖像画がデザインされたタイプで、写真では金委員長と朝青龍が左胸、もう1人が襟に付けているのが確認できる。
 ただ、北では背広の襟に付けないのが礼儀。金委員長と朝青龍だけが正しい付け方だが、一体誰が朝青龍に指南したのか」と民間の朝鮮研究者は驚く。
 しかも「外交団の一員が、わざわざ北のバッジを付けるのは異例」といい、朝青龍の北へのゴマすりぶりは相当なもののようだ。
 
 朝青龍の訪朝理由については、さまざまな説が流れている。格闘技界の関係者は「アントニオ猪木さんとも交流がある在日朝鮮人の実業家が今回の訪朝に深く関与しているらしい」と明かす。
 猪木氏は1995年4月に日本の有名なレスラーを集めて「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催。昨年3月に訪朝した際も、自身が経営するプロレス団体「IGF」の平壌事務所を開設し、第2回大会の実施を模索している。
 「実は朝青龍が訪朝した同じ日、金委員長は朝鮮総連の訪朝団とも面会している。
 このメンバーと朝青龍が接触した可能性が高く、『朝青龍を第2回大会の目玉にするのではないか』という噂もささやかれている」(格闘技界関係者)。
 
 朝青龍のモンゴル訪朝団は21日に北朝鮮北東部の港町、羅先市を訪れ、貿易と経済協力の覚書に調印した。元国立モンゴル大客員教授の宮田修氏は「モンゴルには豊富な鉱物資源が埋蔵されているが、港がないのが弱点。そこで将来的には羅先を物流基地にして、日本などと貿易を行う計画がある。モンゴル側はすでに広大な土地を押さえている」と語る。
 
 宮田氏は「朝青龍は2年後の選挙で国会議員になることを狙っている。(訪朝は)将来をにらんだ動きではないか」と推測するが、一方で「サーカス団の売り込みとも考えられる」という。
 朝青龍のグループ企業は、首都ウランバートルのサーカス場の運営権を取得しているからだ。
 朝青龍の将来は政治家か、ビジネスマンか。いずれにしても日本の相撲界とかかわる気はまったくなさそうだ。
 

●米誌タイムは29日、2010年の「世界で最も影響力のある100人」を発表した。その「指導者」部門になんと、オバマ米大統領らと並んで鳩山由紀夫首相が6位にランクインした。昨年の総選挙で党首として民主党を勝利に導き「日本を変えた」というのが同誌の評だが…。
 
 タイム誌は政治家で資産家の一家に生まれた鳩山首相について、自民党時代は「完全に予測可能な政治家」だったと紹介。自らが源流をつくった民主党の「より平等な日米同盟」「政治家主導」「透明性向上」といった政策をすぐ完全に達成することはできないだろうが「日本が事実上の一党支配の国から、機能する民主主義に変わる一助となった」とした。
 そのうえで「彼自身は革命家ではないが、一種の革命において指導者となった」とも説明した。
 
 米紙で「ルーピー(愚か)」と書かれた首相に対し、同誌がどの程度の知識を持っているのかは不明だ。ただ、首相は普天間問題などで迷走し、日米関係に大きな“影響”を与えかねない発言を連発しているだけに、同誌のランキングはある意味当たっているとの声もある。
 「100人」は同誌が毎年、政治家や科学者、芸術家、経済人などから独自に選出している。
 
【世界で最も影響力のある100人=上位10人】
(1)ブラジル/ルーラ大統領
(2)台湾/エイサー・J.T.ワンAcerグループ会長
(3)米国/マイケル・ミューレン米統合参謀本部議長
(4)米国/オバマ大統領
(5)米国/ロン・ブルーム製造業政策担当上級顧問 
(6)鳩山由紀夫首相
(7)フランス/ドミニク・ストロスカーンIMF専務理事
(8)米国/ナンシー・ペロシ下院議長
(9)米国/サラ・ペイリン次期大統領候補
(10)パレスチナ/サラム・ファイヤド首相

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