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延坪島砲撃を受けて逃げ惑う 孤島と化して孤立無援に (11月24日)(水)

 韓国軍合同参謀本部は24日午前、記者会見で、北朝鮮による黄海上の延坪島(ヨンピョンド)への砲撃が、計約170発だったと明らかにした。 うち90発は海上に、80発は同島に着弾したという。
 金泰栄(キムテヨン)国防相は同日の国会国防委員会で「砲撃直前に、北朝鮮軍のミグ23戦闘機5機が現場空域を哨戒飛行した」と報告した。
 李明博(イミョンバク)大統領は24日朝、青瓦台(韓国大統領府)で首席秘書官会議を開催し、今後の対応を協議した。
 8時30分 トーヨーで打ち合わせ 8時45分 区へ
 10時 例月出納検査日 監査委員協議会 12時 終了 13時 案件があって阪田氏 大見氏と要談 15時 案件があって三神氏 境氏と要談 18時 江戸川区福祉ボランテイア団体協議会役員会 運営委員会に出席した。
 

●仁川(韓国北西部)発 時事通信
 北朝鮮の砲撃を受けた韓国西方沖の延坪島は24日も仁川港行き旅客船の運航が中止され、北朝鮮に近い小島は「孤島」と化しつつある。
 運航再開のめどは立っておらず、現地には飲料水や非常食、医薬品、毛布、懐中電灯などの救援物資が次々と運び込まれている。
 
 仁川市によると、砲撃のあった23日に医療支援や電力復旧のチームが現地入りした。
 24日も通信復旧チームが島に入り、復興作業を加速。仁川港では、支援物資を積み込んだ海洋警察の船舶が断続的に島へ急行している。
 消防防災庁などによると、山火事は今も一部で続いており、消防当局は車両21台と要員86人を派遣し、懸命の消火作業に当たっている。
 島内の山は大半が焼け焦げた状態だという。
 
 損壊した家屋は22軒に上り、砲撃の衝撃で鼓膜を破った民間人の負傷者もいる。
 住民の多くは避難施設に身を寄せており、先行きへの不安が高まっている。 
 

●韓国の朝鮮日報の記事から・・・
 23日午後2時30分ごろ、海兵隊延坪部隊のソ・ジョンウ兵長(22)=海兵隊1088期=は、休暇を取って実家へ帰るため、大延坪島の船着場にいた。
 来月22日に除隊する予定だったソ兵長は、午後3時に出発する船に乗り、最後の休暇を過ごすはずだった。
 だが、2時34分ごろ、「ドカーン」というごう音が続けざまに鳴り響き、北朝鮮の砲撃が始まった。
 サイレンが鳴り、「戦闘発生」という放送が流れた。ソ兵長は躊躇(ちゅうちょ)せず、所属部隊へ駆け付けた。
 
 ソ兵長が所属する延坪部隊はすでに砲撃を受け、修羅場と化していた。訓練場やテント、射撃場、食堂といった部隊内の施設は、砲弾によって破壊され、黒煙に包まれていた。
 ソ兵長は部隊へ戻ろうとして砲撃に遭い、重傷を負って病院へ運ばれる途中に死亡した。
 また、後輩のムン・グァンウク二等兵(20)=海兵隊1124期=も、砲撃に遭って病院へ運ばれる途中に死亡した。
 このほか、重傷を負った兵士6人のうち二人が重体となっており、死者の数はさらに増える可能性がある、と部隊の関係者は話した。
 
 ソ兵長は今月3日、自分のブログに、「あと3週間がんばれば、13泊14日間の最後の休暇だ」と綴った。
 そのタイトルは「船よ、ちゃんと出てくれ。もうすぐ休暇だ」というものだった。
 そして22日には、「とうとう引越しが終わった。軍隊生活も最後、やっとベッドが使える。あすは天気が良くないというが、船が出港してくれるよう願うしかない」と綴った。 その翌日、ソ兵長の戦死の知らせが伝わるや、ブログには約3時間の間に14万人を超えるインターネットユーザーがアクセスし、追悼メッセージが5000件以上も寄せられた。
 
 一方、ムン二等兵のブログには、友人と思われるイ・ヘギュさんが、「グァンウク、あまり親しくなれなかったが、一体どうしてこんなことになったのか分からない。守ってあげられず、すまない。
 天国ではどうか、幸せに暮らしてくれ」というコメントを寄せた。
 また、パク・ヒョビンさんも「一生忘れないよ。勇気のない国では、足あと帳にコメントすることしかできない。本当にすまない」と綴った。
 ソン・ジョンフンさんは「おい、ムン・グァンウク、(死んだのは)お前じゃないだろう。1学期、勉強しようと言って学校へ来たお前が何で死ぬんだ。このコメントを見たら連絡しろ」と書き込んだ。
 この日、戦死した二人のブログには、見ず知らずの数百人もの海兵隊の先輩や後輩たちがアクセスし、二人をたたえ、追悼するメッセージを残した。
 
 全羅北道群山市秀松洞にあるムン二等兵の自宅には、悲報を聞いた親せきたちが集まり、家族を慰めた。おじのムン・ヨングさんは「気の毒だ。快活でいい子だったのに…」と言って泣きはらした。
 父親のヨンジョさんは、「信じられない」と言って絶句した。
 ムン二等兵は電気技師の父親を手伝うため、大学も電気科を選ぶほど親思いだった、と親せきたちは話した。
 
 戦死者と負傷者は共に、京畿道城南市の国軍首都病院へ運ばれた。
 午後7時25分ごろには、海兵隊の儀仗隊員約30人が乗ったバスが到着した。
 隊員たちは全員、軍服に「謹弔」というリボンをつけていた。8時25分ごろには、重傷を負った海兵隊の兵士6人を乗せたヘリコプター2機が病院のヘリポートに着陸し、待機していた救急車5台で病院へ運ばれた。
 
 10時50分ごろ、戦死したソ兵長のおじが病院を訪れ、「夜8時に死亡の発表があったのに、まだ葬儀の準備もできていないとは何事だ。
 国のために戦って死んだ兵士に、こんな対応をしていいのか」と抗議した。
 
 重傷を負ったと発表されたキム・ソンファン下士(軍曹)の妹は、「首の横を破片がかすめ、兄がけがをしたらしい」と語った。また、軽傷を負ったキム・ジヨン上等兵の親せきも病院を訪れた。
 いとこのK君(12)は、「塾で知らせを聞いて驚いた。国のために戦ってけがをした兄さんが、早く良くなってほしい。
 おば(キム上等兵の母親)が知らせを聞いて気絶したと聞いた」と話した。
 
 軽傷を負ったク・ギョソク一等兵のおばのハン・ユンテさんは、負傷者を乗せたヘリコプターが到着した直後の午後8時30分ごろに病院の前へ到着したが、直系の家族以外は病院への立ち入りを禁じられ、面会所で待たされた。
 ハンさんは、「ギョソクはきょう休暇を取り、午後3時の船に乗って帰って来ることになっていた。
 一体、何という災難なのか。大けがでないことを祈るだけだ」と語った。
 一方、午後5時30分ごろには、負傷者のリストになかったパク・ジョンヒョン上等兵の両親が病院を訪れた。
 父親のパク・ソンギュさん(53)は、「息子が自走砲の担当だというから、心配になってここへ来た」と話した。

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