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やむを得ず長靴はきて歩みゆく豪雪の朝あきらめのまま (02月10日)(月)

 残雪の塊が大きくて自宅から車を出せない。2−9度C 6時45分ー7時15分 散策 8時10分 トーヨー 8時40分 区へ 車の渋滞が続く 10時 案件があって山本氏が来訪要談 11時 小林事務所 小林所長 佐藤氏が来訪要談 14時 臼井氏と案件があって要談 16時 案件があって大実氏 土井氏と要談
 

●9日投開票された東京都知事選は、自民と公明、連合東京の支援を受けた元厚生労働相の舛添要一氏(65)が初当選し、原発ゼロを旗印に首相経験者として史上初めて知事選に挑んだ細川護熙(もりひろ)氏(76)は及ばなかった。
 小泉純一郎元首相(72)の全面支援を受け、メディア露出で印象を強める「空中戦」で無党派層の獲得を狙った細川氏陣営だったが、組織をフル動員し「地上戦」に徹した舛添氏陣営に力の差を見せつけられた形だ。
 
 「出馬の準備が遅れた。事務所を立ち上げ、政策を整理し(そういう時間がかかったことが)響いた」。午後8時半過ぎ、東京都千代田区の選挙事務所。細川氏は出遅れを敗因に挙げた。
 細川氏が小泉氏と並んで出馬表明したのは先月14日。だがそれから告示前日の同22日まで、公の場にほとんど現れなかった。

 昨年7月の参院選で、脱原発を中心に訴えた候補・政党の得票合計は、選挙区で約168万票(吉良佳子氏、山本太郎氏、大河原雅子氏、丸子安子氏)、比例代表で約120万票(共産、生活、社民、緑の党、みどりの風、新党大地)だった。都内の自民と公明の組織票は220万票前後とされ、それを上回るには無党派層に加え、保守支持層を切り崩す必要があった。

 だが陣営には、小泉氏の全面支援を取り付けたことで楽観ムードが漂い、態勢を十分に整えないまま選挙戦に突入した。組織の支援を断ったことで実動部隊が足りず、ポスター張りにも日数がかかったが「空中戦で何とかなると思っていたようだ」(陣営幹部)。街頭演説は繁華街に絞って1日2カ所程度しか行わず、午前中は雑誌やテレビの取材を優先した。

 一方、舛添氏陣営は「こんなに力を入れた都知事選は記憶がない」(自民都連幹部)というほど、公認候補並みの扱いで組織戦を展開した。遊説日程は自民と公明が組み、地域ごとに地元都議が同行。個人演説会もほぼ毎日開き、担当都議には500人動員のノルマが課された。

 選挙戦中盤になって、細川氏陣営も戦略変更を余儀なくされた。ツイッターの情報発信などを重視した「電脳派」に代わり、旧日本新党系のグループが選挙運動を主導。地道に票を掘り起こす「地上戦」を本格化させた。1月末から民主都議らが応援に本腰を入れ、電話やはがきで投票を依頼。投票4日前にポスターも張り替え「原発ゼロでオリンピックを」との文字を入れた。細川氏自身も演説を増やし原発以外の課題も詳細に語るようになった。

 だが、16年前に政界を引退した細川氏の知名度をアップするには時間がなく、小泉旋風が吹き荒れた2005年衆院選のようにメディアの注目を集めることもなかった。舛添氏陣営は、後半から自民党三役や閣僚を連日投入し、全国の国会議員に都内の100人分の支援者名簿を提出させるなど挙党態勢を強めた。公明も山口那津男代表や井上義久幹事長が応援に立った。

 出遅れは否めなかった。ただ細川氏は9日夜の記者会見でもう一つ敗因を挙げた。「原発を争点とさせない力が働いた。マスコミの半分ぐらいはそうだった」。手には「これからも『原発ゼロ』の国造りを目指す」。と書かれた小泉氏の手書きのメッセージがある。「小泉さんと相談し、これからどう運動を進めるか考えたい」と力を込めた。以上毎日新聞記事から・・・。

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