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雨足のつよき朝起き散策をあきらめルームランナー歩む (04月30日)(水)

 雨 全国的に大雨が降るということだ。12−18度C 8時 トーヨー 8時15分 区へ 打ち合わせ 田口氏来訪 森氏来訪 9時30分 鹿骨事務所の監査 11時30分 片山氏が来訪 13時15分 江戸川区健康部健康推進課の監査 16時 MAオークションへ行く
 

●ソウル発 毎日ニュース
 珍島(韓国南西部)沖で沈没した旅客船「セウォル号」の事故から30日で2週間。事故をめぐっては、船長ら乗務員の無責任な行動が非難されているが、海洋警察の初動対応の遅れや政府に対する不信も強まる。一方で、韓国社会が抱える希薄な安全意識への反省も広がっている。
 
 事故原因をめぐっては、日本から購入後、船体を韓国で増築した上、過積載やバラスト水の放出でバランスを失った疑いが浮上。さらに高速航行中の急旋回や、現場海域を初めて担当した3等航海士の経験不足など「複合的な要因」との見方が強まっている。
 船体の異常発生から転覆、沈没するまで2時間以上あったにもかかわらず、人的被害がこれほどまで拡大したのも今回の特徴だ。
 
 事故後、乗客を救助せずに真っ先に逃げた船長の責任が追及されている一方、異常発生直後に救難要請を受けながら、通報した高校生を乗務員と誤認して船の所在地を尋ねるなどもたつき、到着後も船内に入って救護しなかった海洋警察の初動態勢も問われている。
 
 事故の悲惨さは、国家として船舶の安全航行を監督・指導し、事故後の迅速な対処を求められた朴槿恵(パク・クネ)政権の責任論に直結した。
 事故発生直後、韓国政府は乗客368人を救助したと発表。しかし集計ミスで、救助者数は二転三転し、実際に救助されたのは174人にとどまった。
 
 朴氏は事故発生翌日の17日、乗客家族の待機所を訪れ、家族を慰めた。だが、船舶の航行安全に対する対応のずさんさが次第に明らかになるにつれ、海洋警察や海運行政を所管する海洋水産省や重大事故の対策を担う安全行政省など、行政の責任を問う声が増大した。
 
 27日には内閣の責任者として鄭●(=火へんに共)原(チョン・ホンウォン)首相が初動の遅れの責任を取って辞意表明。さらにメディアの批判は「責任を認めず謝罪もしない」と朴氏に向かった。
 
 28日に発表された世論調査では朴氏の支持率は57・9%と前週より6・8ポイント下落。同日、大統領府のホームページは大統領を非難する書き込みへの賛否をめぐってサーバーがダウンした。朴氏は29日、閣議で謝罪したが「国民や遺族に面と向かっての謝罪はない」との批判もくすぶっており、さらなる対応を迫られることになるとみられる。
 
 事故をめぐって、韓国ではさまざまな反省が叫ばれているが、根本的な問題として韓国社会が抱える「安全」に対する認識の希薄さを問う声も目立つ。韓国メディアは「日常的に信号無視が横行する韓国社会」などと社会全体での安全意識欠落に警鐘を鳴らす。
 
 そうしたなか、日本が国民の安全に高い意識を持ち、コストと時間をかけている点が注目されている。また乗客の家族が「日本の協力申し出を断ったのか」と政府に確認するほど、日本の海事救難技術や装備にも高い関心が集まった。
 

●韓国の航空機内でよく目撃するが、乗客が客室乗務員に何か大声で文句を言い要求していて、らちがあかないとみるや決まって「機長を出せ!」と叫ぶ。こちらはそばで思わず「オイオイ、それはないだろう、機長は操縦中なんだよ!」と言いかける。
 
 今回の大型旅客船沈没事故でも似た風景が見られる。現場近くに押しかけている犠牲者の家族の一部が、大統領に“直訴”のためソウルに向かおうとデモをしていた。朴槿恵大統領はいち早く現場を訪れ、家族の声を聴き直接、各種の指示を出しているのに。
 
 韓国社会は何事もトップダウンつまり“上意下達”だから人びとは下の者を信じない。上に訴え上からコトを動かそうとする。組織や規則(マニュアル)ではなく人で物事が動いているということだ。法治社会ではなく“人治社会”といわれるゆえんだ。
 
 同規模の犠牲者が出た1993年の西海フェリー沈没事故は、悪天候で出航を見合わせていた船長に乗客たちが「早く船を出せ!」と迫り、無理に出港させたのが原因だった。政府や船会社だけを非難してもはじまらない。日常的に規則、決まり無視が横行し、不満があるとすぐデモで直訴となる。日本大使館前に無許可で設置されたままの慰安婦像など“反日無罪”もその例だ。以上黒田勝弘氏の論評。
 

●芸能界で長者番付ナンバー1といわれるタモリ。その総収入はなんと150億円にのぼるという。
 一方、タモリとナンバー1の座を争っていたみのもんたは昨年、『朝ズバ!』(TBS系)を降板、一時はレギュラー7本を抱え年収は50億円ともいわれたが、現在テレビの仕事は『秘密のケンミンSHOW』(日テレ系)の1本のみ。
 「ただし彼には父親から引き継いだ水道メーター会社の社長という肩書きがある。その収入も含め、今年も年収は10億円近くいくとか。
 
 “みの城”と呼ばれる鎌倉市にある自宅は約19億円、東京・南青山の持ちビルは2億6000万円、軽井沢の土地は4億6000万円。ほかにも複数のマンションを持っている。
 約10億円の別の水道メーター会社の株を所有するなど、資産総額は芸能界でも飛び抜けている」(テレビ局関係者)
 しかし、欲しいのは資産ではなく仕事なのか最近は「なじみのテレビ関係者に仕事依頼の手紙を書いている」(テレビ局関係者)日々だという。以上週刊ポスト2014年5月9・16日号。
 

●23日夜、自民党岸田派(宏池会)の政治資金パーティーが開かれた都内のホテル会場は一瞬、緊張が走った。
 来賓としてあいさつした首相、安倍晋三は、今派内で影響力を示す派名誉会長の元自民党幹事長、古賀誠に目をやるとこう言い放った。
 「安倍内閣は、宏池会の皆さんの助けなしにやっていけない。古賀名誉会長にも久しぶりにお目にかかったが、よろしくお願いしたい、と思う次第だ」
 
 その後、乾杯の音頭をとるために壇上に上がった古賀も、すでに会場を去った安倍への対抗心をむき出しにした。
 「いずれ宏池会を主軸とする保守本流の政権を再現するため努力を重ねる」
 出席者の一人は「2人の関係は険悪なのがよくわかった」と振り返る。
 
 「保守本流」−。古賀がいつも口にする言葉で、このときも2、3分の間に4回も使用した。
 
 池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一と首相を輩出した名門派閥の意地がある。「保守本流」には、政権の「ど真ん中」にいたとの意味合いが強い。
 しかし、自民党内での宏池会の政治信条は、保守というよりもリベラルだ。実際に古賀は、集団的自衛権行使容認に強く反対する急先鋒(せんぽう)に立つなど、安倍の政治信条を「タカ派」だと嫌う。
 
 古賀は平成24年11月に衆院議員引退後、政治活動の拠点を自民党本部近くの砂防会館(東京・平河町)内に移した。同じフロアには清和政策研究会(現町村派)会長でもあった元首相の森喜朗、1階下には平成研究会(現額賀派)や参院自民党に隠然たる力を持つ元自民党参院議員会長の青木幹雄が、それぞれ個人事務所を構えている。
  3人は、これまでも党の「長老」として政治を裏で動かす場面があった。
 
 同年9月の自民党総裁選。本命とみられた現幹事長、石破茂の選出を阻止すべく、当時の総裁の谷垣禎一を不出馬に追い込み、幹事長だった石原伸晃を担いだ。安倍の再登板にも慎重論を唱えた。しかし、石原は人気が集まらず、決選投票にも入れなかった。最終的に安倍が選出された。
 官房長官、菅(すが)義偉(よしひで)は、安倍政権が重要な局面になると3人への「砂防詣で」を行う。額賀派の官房副長官、加藤勝信にいたっては最低月1回の「青木詣で」を欠かさない。
 
 そういう安倍政権の気配りに関係なく、古賀のみならず青木も、周囲に「今の安倍内閣は今ひとつだ」と不満をぶつける。集団的自衛権行使容認をめぐり、青木に近い自民党参院幹事長、脇雅史が一時、慎重論を展開したのは青木と腹合わせしたからだとの見方がある。
 
 「保守本流」という意味では、青木も同じ道を歩んだ。昭和40年代後半から始まった「三角大福中」の政治闘争で首相に上りつめた田中角栄と大平はつねに同盟関係にあり、「保守本流」の地位を築いてきたといえる。青木は元首相、竹下登の秘書の立場から田中や竹下の政治を学び、小渕恵三政権で官房長官を務めた。
 
 砂防会館には、かつて田中や田中派の事務所があった。田中派時代から永田町で仕事をしていたベテラン秘書、新里(にいざと)庄四郎は「砂防会館そのものが権力を持っているのではない。そこにいた旧田中派の『人脈』こそが権力を築き、いつしか『権力の館』にさせたんだ」と解説する。57年に首相になった中曽根康弘も、42年から平成21年まで個人事務所を置いていた。
 ひるがえって、砂防会館は「反安倍政権の牙城」ともいえる。もっとも、森は東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に就き、安倍との距離を縮め、逆に政治活動からは離れつつある。
 
 一方、古賀は周囲に「しばらくは政治活動を続ける」と明言する。青木も同様の姿勢だ。
 2人には「ポスト安倍」づくりを最後の仕事にしたいとの思いがある。古賀が担ぐのは宏池会の後継会長に推した外相の岸田文雄、青木は元少子化担当相の小渕優子だ。もし、第2派閥の額賀派(55人)と第3派閥の岸田派(45人)が手を組めば、安倍を支える町村派(92人)を上回る勢力になる…。
 
 特に古賀は毎月、岸田派参院議員を集め、岸田や農林水産相、林芳正を囲んだ会食を開催し、派の結束に余念がない。2500人を集めた23日の岸田派パーティーでは、資金を集めた力を誇示するように「こんなに大勢集まった。派閥の会長が違えば、こんなにも違うと痛感している」と皮肉交じりに挨拶した。
 ただ、ある岸田派議員は「古賀さんには『おれが岸田を会長にしてあげたんだ』という態度が強い」と懸念を示す。
 岸田は21日、都内での講演で、古賀との微妙な違いをにじませた。
 
 「ハト派だろうがタカ派だろうが、立場を超えて国民の生命・財産を守るためにはどうしたらよいかを考えるのは大切だ。宏池会のハト派、リベラルという立場は課題によって使い分けないといけない」
 古賀は岸田の言葉に不満だったのか、25日のTBS番組収録でこう嘆いた。
 「安倍さんに代わるリーダーシップが見えてこないのは残念だ」=敬称略。(以上村上智博氏の論評)


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