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職業的詐話師吉田氏証言に踊らさし三二年は (08月07日)(木)

 晴れ 36度C 8時 トーヨー 8時20分 区へ 打ち合わせ 13時 多美長氏 大山氏と案件があって要談 15時 佐方氏 秦氏と案件があって要談 18時 監査委員事務局暑気払い(平井)
 

●理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センター長(52)の自殺の衝撃が広がっている。STAP細胞問題で、最大の理解者を失った小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)の憔悴ぶりは激しく、メンタル面も危険な状態に陥っているという。自殺の場に“職場”を選んだ笹井氏には組織へのうらみがあったと読み解く専門家もいる。小保方氏をかばい続けた「遺書」の真意とは−。
 
 「(自殺から)そう遅くない時間に把握したと思う。非常にショックを受けている」
 理研の加賀屋悟広報室長は5日午後の会見で、小保方氏の様子をこう明かした。
 6日付の毎日新聞によると、知人の研究者が5日午前に電話をかけたところ、小保方氏は言葉が出ないほど号泣していた。知人は「かなり責任を感じているようだった」と話したという。
 
 小保方氏の精神は危険な状態にあるとみられ、理研の研究員と事務職員の2人がサポート。「ご家族の協力や、臨床心理士への相談も考えていきたい」(加賀屋室長)と万全の体制を取るとした。
 
 小保方氏の代理人の三木秀夫弁護士は6日、同氏の体調面の不安などについて「何とも言えない」とし、今週は研究所に出勤するかどうかも「把握していない」と話した。
 疑惑が深まり、論文の不正が認定されても、STAP細胞の存在そのものには自信を見せていた笹井氏。小保方氏に残した1枚の遺書にも、その思いをにじませていた。
 
 その詳細を報じた毎日新聞によると、「限界を超えた。精神的に疲れました」と断ったうえで「小保方さんをおいてすべてを投げ出すことを許してください」と謝罪。「こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない」と擁護する記述もあった。最後は「絶対にSTAP細胞を再現してください」「実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」と、激励の言葉で締めくくられていたという。
 
 
遺書は現在、兵庫県警が預かっており、三木氏は「いつ小保方氏の元に届くか分からない」と明かした。
 この遺書には、笹井氏のどんな真意が隠されているのか。
 精神科医の和田秀樹氏は「遺書の中身がマスコミに公開されることを前提に書いているのだろう。自らの死をもって言いたいことを言ってしまおうと思ったはずだ。『STAP細胞を再現してください』というメッセージは本音ではないか。彼自身にとっても賭けだったが、最後までスジのいい研究だと思っていたのだろう。STAP細胞と心中したという側面があると思う」と読み解く。
 
 自宅や滞在先ではなく笹井氏は研究を続けてきた理研の施設内で死を選んだ。この意味について、ヒガノクリニックの院長で精神科医の日向野春総氏は「組織に属する人間が組織の中で死を選ぶことには2つの意味がある。1つはざんげ、もう1つは怨念だ」と指摘し、こう続ける。
 
 「理研の中で死んだということは『迷惑をかけて申し訳ない』という意味合いももちろんあるのだろうが、『ふざけるな』という組織への恨みの感情もあったはずだ。小保方氏や理研の関係者宛ての複数の遺書が残されていたということだが、その相手に対して複雑な感情を抱いていたのではないか。笹井氏は、葛藤を抱えたままで最期の時を迎えたものと思われる」
 
 一方、臨床心理士の矢幡洋氏はこんな見方をする。「理研に迷惑を掛けたという思いがそうさせたのではないか。仕事場である研究室ではなく、踊り場という中途半端な場所を選んだのは、自分の死が『抗議の意思表示』として解釈されないための配慮だろう」
 
 STAP細胞論文への疑義が噴出した後の4月、会見に出席した笹井氏の胸には理研のバッジが光っていた。それを問われた笹井氏は「幹部の1人として、正式な、いで立ちでおわびしたかった」と説明していた。
 矢幡氏は、その言動に「理研の一員」であることの強烈なプライドを感じたという。
 
 「理研の幹部でいることが彼のアイデンティティーのかなり大きな部分を占めていたはずだ。論文問題があったとしても、科学者として再生できるぐらいの業績を上げている。ひと騒動収まれば、ほかの研究機関や大学での復職の道もあったはずだ。ただ、彼はそうやって生きていくことをよしとしなかったことになる」
 キーマン亡き後、世界を騒がせた論文不正の全容解明は極めて困難な状況となった。

 
●朝日新聞が5日付朝刊に掲載したこれまでの同紙の慰安婦報道の検証記事は、一部の記事が事実無根だったことや不正確なことは認めて反省は表明した。しかし、明確な謝罪は行っていない。1面の記事で杉浦信之編集担当は「『慰安婦問題は捏造(ねつぞう)』という主張には決して同意できません」と訴えるが、少なくとも大手メディアでは、そのような主張はしていないはずだ。朝日新聞の検証記事を「検証」してみた。(阿比留瑠比)
 
 朝日は今回の検証記事で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話について「『強制連行』ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた『強制性』を問題にした」と位置づける。
 また、「93年(平成5年)以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた」「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」などとも書いている。
 
 だが、それまで朝日が「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」(4年1月11日付朝刊記事)、「『挺身隊』の名で勧誘または強制連行」(同年1月12日付社説)などと強制連行を強調してきたことへの反省はない。
 朝日は自社が熱心に唱えた強制連行説の旗色が悪くなると、「日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点」(9年3月31日付社説)と論点をずらし始めた経緯がある。
 
 今回、朝日は「確認できただけで16回、記事にした」(検証記事)という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の証言を「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と明らかにした。
 ただ、朝日が初めて吉田氏の記事を掲載したのは昭和57年9月であり、過ちに気付くまで実に32年近くかかったことになる。
 
 その間、朝日は吉田氏を「ひと」欄(58年11月10日付朝刊)で「朝鮮人を強制連行した謝罪碑を建てる」と紹介したり、夕刊1面コラム「窓 論説委員室から」(平成4年1月23日付)で証言を次のように取り上げたりしてきた。
 「(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくとも九百五十人はいた」
 
 その後、吉田氏の証言が虚偽と判明してからも朝日は「(吉田)氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」(9年3月31日付朝刊記事)とするにとどまり、訂正しようとはしなかった。
 国連人権委員会に提出され、慰安婦を「性奴隷」と認定した8年の「クマラスワミ報告」が吉田証言を引用しているのも、朝日が繰り返し吉田氏の紹介を続け、知名度を上げたことと無縁ではないだろう。
 
 朝日は、もともと無関係の慰安婦と工場などで働いた女子挺身隊を混同した理由について「原因は研究の乏しさにあった」と書く。
 また、「朝日は93年(平成5年)以降、両者を混同しないように努めてきた」としているが、両者が別の存在であることは少しでも調べれば分かることだ。
 
 韓国政府ですら4年7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」の中で両者の混同を戒め、「女子勤労挺身隊と慰安婦は区別すべきだ」と指摘している。
 元朝日新聞ソウル特派員のジャーナリスト、前川惠司氏も今年5月、産経新聞の取材に「挺身隊と慰安婦が違うことは、戦時下の日本のことをちょっと勉強すれば常識だ。すぐに、訂正がでるだろうと思っていた」と語っている。 
 
 朝日は、韓国人元慰安婦の証言を初めて取り上げた3年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆記者(今年3月退社)の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」について、「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と結論付けている。
 
 記事は後に金学順氏と判明する元慰安婦を匿名で取り上げ、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行」と書いていたが、金氏は記者会見や別のインタビューで「母に40円でキーセン(朝鮮半島の芸妓(げいぎ)・娼婦)に売られた」と語っている。
 
 この植村氏の記事が慰安婦問題に火が付いた大きなきっかけだということを考えれば、朝日は少なくとも訂正すべきだろう。
 ところが、朝日は今回の検証で植村氏の「金さんがキーセンについて語るのを聞いていない」「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」との言い分を引いてみせただけだ。
 検証はまた、金氏が植村氏に「女子挺身隊の名で戦場に連行」されたと話したかどうかは明らかにしておらず、植村氏の記事に「意図的」なものが本当になかったかは判然としない。 

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