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パチンコの耳をつんざく騒音の中に半日いる気わからず  (08月12日)(火)

 御巣鷹山で日航機が墜落してから29年だという。あの日私は筑波万博へ行っていて帰りに寄り道して区内で居酒屋で懇談していた時だった。台風11号が去った後はっきりしない天気である。曇り 32度C 6時45分−7時15分 散策 8時 案件があって上村氏が来訪したので要談 10時 車でさいたまし市へ行く 大見氏 風間氏と案件があって要談 12時 丸木氏と案件があって要談 新宿で14時 民田氏と案件があって要談 17時 新小岩で依田氏 早矢仕氏と案件があって要談
 

●「(家出をした18歳のとき、政府の職業紹介所で)米軍クラブで仕事しろと言われた。軍人と寝なければならないという話はしたが、その年齢では『寝る』というのが何を意味するのか分かると思うかい?(中略)毎日泣き続けたよ」
 韓国の左派系ハンギョレ新聞は今年7月、元米軍慰安婦という63歳の女性の言葉をこう伝えた。
 
 朝鮮戦争休戦(1953年)後、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)で米兵を相手に売春をしていた韓国人女性ら122人が6月、「韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害された」として韓国政府に1人当たり1000万ウォン(約100万円)の国家賠償訴訟を起こしたのだ。
 
 ところが、日本の慰安婦問題を世界中に喧伝してきた韓国のメディアや世論は、ほぼ黙殺した。
 『軍隊と性暴力−朝鮮半島の20世紀』(現代史料出版)という本では、日韓の研究者が、朝鮮半島での日米韓各軍の売春利用を批判的に調査している。米軍政下の47年、韓国では国家が認めた売春制度である公娼制度を廃止し、売春を禁止した。ただし運用はあいまいだった。
 
 韓国政府は二重基準の政策を行った。売春を一般向けには取り締まったが、特定区域を設置して、民間業者の売春を放置した。特に、米軍兵士の慰安、また外貨獲得のために外国人向けの売春目的の「妓生(キーセン)観光」を奨励した。
 
 80年代以降の経済成長と民主化による女性の人権保護運動で、売春業は以前よりは目立たなくなったが、今でも残る。そして、冒頭のように経済的、家庭的に恵まれない女性が働くという。 韓国の売春業では、国の関与もあった。
 
 韓国軍は54年まで「特殊慰安隊」の名目で自ら慰安所を運営した。売春婦は「補給品」と書類上書かれた。ソウル地区では当時、89人の女性がおり1日平均6人の相手をした記録が残る。戦功を上げた兵に報償として優先利用させたという。
 
 70年代には、米軍の取り締まり要請を受け、日本を慰安婦問題で攻撃する朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が自ら指揮して「基地村浄化運動」を行った。売春の存在を大統領が肯定していた。
 韓国での軍関係の売春事業は、原則として民間業者が行うが、政府が管理をしてきた。これは日本軍をはじめ第2次世界大戦中に各国の軍が行ったものと形式は同じだ。
 
 そんな歴史的事実があるのに、日本についてだけ「慰安婦=性奴隷」というデマを吹聴する日韓の活動家やメディア、日本を糺弾する韓国政府の行動は、明らかに矛盾している。政治的謀略の匂いすらする。
 朝日新聞が慰安婦問題の大誤報を認めるなど、この問題では事実関係を見直す動きがある。日本に対する不当な批判には、今回の連載で明らかにした、韓国をはじめ、各国の軍隊による性犯罪の例を示しながら、反論していくのも対策の1つではないか。以上ジャーナリスト・石井孝明氏の論評。
 

●「私は朝鮮人に対してドレイ狩りをした」とのざんげが、後にすべて虚言と判明した“世紀のウソ”、「吉田清治証言」を、朝日新聞が初報から32年目で「虚偽と判断、記事を取り消す」とした。だが、朝日が最も検証すべきは、1991年夏の「初めて慰安婦名乗り出る」と報じた植村隆・元記者の大誤報だ。記事は挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付けた。しかも義父にキーセン(芸妓)として売られていたことを書かずに事実をゆがめたからだ。しかし今回、同紙は誤報を認めなかった。2日に渡った特集は、触れたくない部分には触れず、「女性の尊厳」という人道主義に逃げ込んだ。
 
 1980年代からすでに30年以上も日韓摩擦の原点となってきた慰安婦問題は、争点の強制性の問題で「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」との誤報が事実関係を歪曲(わいきょく)し、韓国側の反発をあおったことが大きい。その根拠となったのが植村氏の記事である。
 
 記事の第一報(8月11日付)は、慰安婦を匿名扱いにしたうえで『「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、韓国挺身隊問題対策協議会が聞き取りを始めた』という内容で、『協議会が録音したテープを記者に公開』として、『17歳のとき、だまされて慰安婦にされた』という元慰安婦の証言を報じた。
 
 しかし、植村氏が書いた女性、金学順さんは挺身隊とだまされたのではなく、親に身売りされていたのだ。朝日の記事の3日後に韓国メディアなどへの記者会見で金さんは、「14歳で母親に平壌のキーセン検番(学校)に売られ、3年後に義父に日本軍の部隊に連れて行かれた。私は40円で売られた」と述べ、韓国紙に掲載されている。挺身隊は総動員体制の用語の勤労動員のことで、慰安婦とは全く関係がない。しかし当時、韓国では混同があったのも事実だった。
 
 そこに、朝日新聞が日本メディアとして「挺身隊としてだまされ連行」と書いた。韓国がこれを強制連行の根拠して飛びついたのはいうまでもない。
 富山県の軍需工場に教え子の女子小学生を勤労奉仕に出した日本人先生が、教え子を案じている話を聞きつけた韓国メディアが、『小学生も挺身隊に』『12歳の小学生が戦場で性的玩具にされた』と書き立てた。誤解は一気に拡大して『天と人が憤怒する日帝の蛮行』『人面獣心だ』(東亜日報社説)と世論は沸騰、植村氏の挺身隊連行の誤報は反日の火に油をそそぐことになった。
 
 金さんが貧困の不遇な境遇から慰安婦にさせられた経緯は、金さんが名乗り出た91−92年当時に明らかだった。また植村氏はその後も金さんの記事を書いたが、挺身隊連行の誤報は正さず、身売りの話も一切、書かなかった。
 今回の朝日の特集では、すでに退社している植村氏に事情を聴いているが、「テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」との弁明だけを載せた。また、「韓国で慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した」と釈明したものの、大きな波紋を呼んだ誤報とは認めず、これまで放置してきた理由も書かなかった。
 
 大阪社会部記者、植村氏はなぜ、ソウルに飛んだのか? 義母は元慰安婦の賠償請求訴訟の原告団体の幹部だった
 金学順さんは、植村氏の記事が掲載された91年末に来日、日本政府を相手とする戦後補償を求める裁判を起こし、日本全国で講演活動も行っている。金さんら元慰安婦を支援し、この裁判の原告となったのが、韓国の戦争被害者支援団体「太平洋戦争被害者遺族会」(遺族会)である。そして、「遺族会」の幹部、梁順任さんは植村氏の義母、つまり夫人の母なのである。
 
 裁判の訴状にも、金さんは生い立ちについて『14歳からキーセン学校に通い、17歳で養父に連れられ中国に渡った』と書いた。植村氏が金さんの事情を知らないわけがない。しかし、誤報は訂正されなかった。
  朝日の特集には、植村氏の義母の「遺族会」幹部であることは書かれているが、金学順さんの裁判の原告団体であったことには一切、触れられていない。強調されているのは、取材源が挺対協で、遺族会とは別団体という事実だ。
 
 植村氏は取材の経緯について「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」とコメントしている。しかし、朝日新聞ソウル支局は、なぜ支局記者に取材させず、大阪社会部の植村記者に任せたのか? 特集はなぜ、金学順さんらの裁判に触れていないのかと疑問だらけだ。
 
 慰安婦問題を91年以来、追跡してきた西岡力・東京基督教大学教授は次のように述べる。
 「そもそも、慰安婦を女子挺身隊の名で集めたというのが吉田清治氏のウソ証言だった。朝日新聞は吉田氏が著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(1983年)を出す前から記事で取り上げ、広めた。吉田氏が加害者で、金学順氏の登場は被害者の登場だった。これが国際社会に“日本の性奴隷”を世界に拡散させた国連人権委員会のクマワスワミ報告書の根拠に使われた。植村氏の記事はその発端だった。誤報というだけではない。義母の裁判を有利にするために記事を書いた疑いもある。私は、若宮啓文・前朝日新聞主筆に慰安婦報道で意見交換をたびたび求めてきたが、若美氏は一度も応じてこなかった」
 
 大方の朝日慰安婦報道批判は、16度も取り上げた吉田証言について、朝日が一体どう考えてきたのか、植村氏の誤報記事をどう評価してきたのか−の回答だった。編集担当の杉浦信之氏は今回の特集の意味づけを大上段に『慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質です』と述べているが、読者の疑問には答えていないる

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