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いつか会い言葉かわせし穏やかに菅原文太もこの世を去りぬ (11月30日)(日)

 くらい曇り 10−15度C 午前中 原稿 13時 作田氏と案件があって要談 15時 案件があって出口氏と要談 17時 黒金氏 中田氏と案件があって要談
 

●「政局」は首相の外遊中に動く−。これまで永田町で何度も繰り返されてきたが、その多くは「城主のいぬ間に外堀を埋めてしまえ」という包囲網づくりだった。しかし、今回はどこか違う。安倍晋三首相が外遊中(11月9〜17日)に事実上“伝家の宝刀”を抜き、主導権を完全に握っていた。果たして12月14日投開票の衆院選で安倍首相が長期政権の足場を固められるのかどうか−。
 
 安倍首相は18日の記者会見で、衆院解散・総選挙に踏み切る考えを正式に表明した。平成27年10月に予定した消費税率10%への再引き上げを29年4月まで1年半先送りすことの是非を国民に問うためだという。
 
 これに野党は「改めて大義名分がない」(民主党の海江田万里代表)、「増税失敗解散だ」(維新の党の江田憲司維共同代表)、「失敗隠しの解散」(生活の党の鈴木克昌幹事長)などと一斉に反発した。
 
 野党各党は、安倍首相が外遊に出発するまで、閣僚の「政治とカネ」の問題をめぐり攻勢に出ていた。スキャンダル国会を仕掛けるはずだったが、わずか1週間ほどで風向きが一変し、焦りの色もにじんでいた。
 
 安倍首相には苦い経験がある。第1次安倍政権時代の平成19年。安倍氏は8月19〜25日の日程でインドネシアとインド、マレーシアを歴訪した。
 その間、国内では、自民党の非主流派議員らが会談を重ね、「安倍降ろし」の動きを活発化させた。「政治とカネの失敗」「拉致問題の失敗」「対米追従の失敗」…。安倍内閣の批判を連ねたペーパーが出回ったのも外遊中だった。
 
 そして21日夜には「反安倍」中堅議員が都内で会談し、あからさまに「(7月の参院選惨敗を)反省すべきなのにアジアに行って何をするのか。国民はみんなそう思っている」などと批判をぶち上げた。
 
 第1次安倍政権は、閣僚の不祥事や失言が相次ぎ、7月の参院選は与党が過半数割れする惨敗だった。それでも首相を続投したことで、党内には不満がふくらんでいた。安倍氏と距離を置く議員は「今は模様眺めでも、流れが変わった瞬間に雪崩をうつ」と語っていた。まさに安倍氏の外遊がそのタイミングだった。
 
 そのとき安倍氏は内閣改造をちらつかせることで、党内の不満を抑え込んだが、9月9日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のため訪問したシドニーで、インド洋での給油活動の継続問題について「職を賭して取り組む」と決意を語った。しかし、国内では「退陣含み」の発言との受け止めが一気に広がった。安倍氏が体調不良で首相を辞めたのは、その約2週間後だった。
 
 21年7月6〜11日、当時の麻生太郎首相がイタリアのラクイラ・サミットに出席したときも同じだった。
 支持率低迷にあえぐ麻生氏の留守を見計らったように、永田町周辺では派閥領袖クラスが会談を重ね、衆院議員の任期満了を前に「党の顔」を代えて衆院選に臨むべきだとの声を上げた。そして、小泉純一郎元首相が10日、「もう麻生氏は解散できない。自発的に退陣すべきだ」と周囲に漏らしたことで、麻生氏の「サミット花道」論が瞬く間に大きくふくらんだ。
 
 今回の安倍首相はどうだったか−。
 安倍首相は帰国後、消費税再増税の是非の判断という難しいかじ取りを迫られていた。ただ、安倍首相は外遊に出発する直前、自民、公明両党の幹部に「帰国後の解散」を耳打ちした。11月10日には訪問先の中国から「再増税を先送りし、解散したい」と自民党幹部らに電話で伝えている。
 
 安倍首相は外遊中、「私自身、解散について言及したことは一度もない」などと国内でくすぶる解散説をかわしたが、情報が漏れることを前提にした自ら解散という「外堀」を埋めるかのような言動きだった。一気に解散の流れができ、自民党内の再増税推進派議員の動きは封じられた。
 
 しかも選挙準備が整っていない野党勢にとっては、虚を突かれる格好となった。その結果、国内では選挙での「共闘」を模索する野党幹部らの会談、会合ばかりが目立った。右往左往する野党勢をみて、ある自民党議員はこう語った。「本当は首相の帰国まで解散情報が漏れない方が良かったのだけどね」(以上大谷次郎氏の論評

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